じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 近くの若林中学校庭まで凧あげに行くところ(1957年12月頃)。この凧はバランス調整に失敗し、結局飛ばすことができなかった。けっきょく、私の子ども時代には一度も凧あげに成功したことが無かった・

 空高く凧あげを楽しんだのはそれから30数年後、父親になってからのことである。その頃にはすでに洋凧が流行しており、特段の技術が無くても簡単に空高く飛ばすことができた。


10月16日(火)

【思ったこと】
_71016(火)[心理]日本心理学会第71回大会(25)エビデンスにもとづく臨床(3)

●認知行動療法と実証(エビデンス)にもとづく臨床:クライエントにとって真に有効な実践は何か?

というシンポの感想の3回目。

 市井氏の話題提供の中では、アメリカ心理学会第12部会で取り上げられた

●「十分に確立された介入法」の基準

への言及があった。ここでは
  • 基準A:介入手続の特定化、マニュアル化、追試可能
  • 基準B:対象の明確化
が強調されているという。またその基準に基づいて、種々の精神障害と、治療効果を比較したデータが紹介された。

 上記の基準は、私自身も取り組んでいる、「園芸療法」や「ダイバージョナルセラピー」についてもあてはめることができる。但し、こういうやり方は、あくまで、治療法が主人公であって、対象者は、検証という目的を達成するためのモルモットに過ぎないと言えないこともない。本シンポの副題である「クライエントにとって真に有効な実践は何か?」、あるいは全人ケアの精神には結びつかない恐れがあるように思う。




 同じような問題点は、昨日取り上げた、介入効果研究の5つの段階(Dryden & Rentoul, 1991)についても言える。あの「ピラミッド」では「一事例実験は、要因統制実験を行うにあたっての発見的手段として有効である」ということで、下から2番目の層に位置づけられているが、クライエント本人にとっては、効果があるかどうかという問題はあくまで単一事例。いくら有効性が顕著であるとされている薬であっても、本人に効くかどうかは、単一事例実験で確かめない限りは意味が無い。

 ということで、「十分に確立された介入法」の研究に意義は理解できるものの、それだけでは「クライエントにとって真に有効な実践は何か?」という答えにはつながらないのではないか、というのが私の率直な感想である。

 次回に続く。