じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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10月24日朝の岡大構内。そろそろ紅葉が始まっている。写真上から、時計台前のアメリカフウ、その西側の広場、南北通りのイチョウ、座主川沿いの朝霧。 |
【思ったこと】 _71024(水)[心理]日本心理学会第71回大会(33)エビデンスにもとづく臨床(11)エビデンスとPDCAサイクル 井上氏の話題提供の後半では、発達障害支援における「Types of outcome measures」についての言及があった。Stathopulu & York (2007)で提示されているものであり(←原典は未確認)、
このことからの連想にすぎないが、最近、大学教育改革に関して、PDCAサイクルの確立ということが強調されている。Googleで「大学教育 PDCA」を検索すると189000件もヒットするし、文科省サイトの「平成20年度概算要求について−質の高い大学教育推進プログラム(仮称)−」の中でも、「学内でのPDCAサイクル確立」という言葉が登場しており、今後ますます多用されることになると思う。 ウィキペディアの当該項目によれば、 【略】...PDCAサイクルという名称は、サイクルが次の四段階からなることから、その頭文字をつなげたものである。とされている。実際の発達障害者支援においても、おそらくこのPDCAサイクル型の改善が行われていくことになるだろう。つまり、特定の治療法、介入法などを効果検証し、優越性が認められた候補を永続的に採用・実施するということではなく、複数の方法を併用し、Checkに応じて処置・改善していくというスタイルをとることのほうが現実的であろう。 もっとも、この「PDCAサイクル」という言葉は、字面だけの表面的な受け止めでは実効性が出てこない。文科省のサイトでこの言葉が頻出するようになった背景は、おそらく これまで評価、評価、と言ってきたが、評価報告書という古文書の山を作るだけではダメ。評価の結果を改善につなげ、さらに新たな取組と実行のサイクルに入っていかなければならない。という意味が込められているのではないかと思う。そこで問題となるのは、まず、どういう部分が「評価」できるのか、どういうことは評価困難であるのか、といった議論である。上記の「Types of outcome measures」でも言えるように、何でもかんでも測れるというものではない。特に、長期的な成果や、総合的な評価についてはエビデンスをとることが難しいと言えるだろう。また、「PDCAサイクル」で改善が必要だと言っても、そこには本来、単一事例実験のロジックが入らなければならない。「やってみたがうまく行かないので別のやり方に変えてみよう」という行き当たりばったりの対応は改善とは言えない。「評価に基づく改善」と言うからには、どういう原因でどの部分がうまくいかないのかを具体的に把握し(もちろん、その把握にあたってはエビデンスが必要)、有効な改善を図らなければ、「PDCAサイクル」ではなくて「気分転換的なローテーション」に終わってしまう恐れがある。 次回に続く。 |