じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡山大学構内の紅葉情報の第九弾(2007年11月15日)。写真上から、
  • アメリカフウの紅葉を南向き(岡大西門、南北通り方向)に眺める。
  • 座主川沿いの紅葉。そろそろ色づく。
  • 農学部農場のケヤキと半田山。
  • カラスウリも色づく。
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11月15日(木)

【思ったこと】
_71115(木)[心理]日本心理学会第71回大会(52) 日本人は集団主義的か?(17)日本人論に基づく日本叩き

 昨日の日記で、
  • 「日本人は集団主義的か?」とうのは話題性はあるが、学術的にはあまり建設的な議論にはならない。
  • とはいえ、本来何の根拠も無い通説がまかり通り、そのことによって社会的にいろいろな弊害が出ているのであれば、心理学者としてもきっちり対処していく必要がある。
と述べた。では、実際のところはどうだろうか。じつはこのことについては、高野氏の話題提供の最初のほうでかなり詳しいご説明があった(というか、今回のシンポはもともと「言語学的」や「心理学的」な観点ではなく「経済学的な」観点から、通説を否定することにあった)。

 まず、10月31日の日記で言及させていただいたように、“通説における日本人の「国民性」”に関しては、
  1. 個我が確立していない
  2. 個性がない
  3. 人と同じでないと安心できない
  4. 同化を強要/異質を排除
  5. 甘え/もたれ合い
といった特徴があり、これに基づいて、「いじめ」、「創造性の欠如」、「軍国主義」、「高度経済成長【の原動力】」などの社会現象を「説明」しよういう動きがあった。これは外国人の学者、評論家、メディアばかりでなく、日本国内でも特有のステレオタイプな見方を形成していると言ってよいだろう。

 さて、日本経済の方向に目を向けてみると、同根の日本人論により、
  • 日本的経営のもとでは、企業の従業員は一枚岩になっている
  • 複数の企業のあいだでも系列があり一枚岩となっている
  • 政府と全企業も一枚岩になっており「日本株式会社」を作っている
といった「日本の経済は集団主義的」という固定観念が生まれてしまう。かつての高度経済成長は、こうした日本人論で説明されようとしてきた。

 このうち、日本的経営を特徴づけるものとしては「企業内組合」、「終身雇用」、「年功賃金」があると言われる。現在の日本ではこれらはいずれも崩壊しつつあるが、かつては本当にその通りどうだったのだろうか。これについては、2番目以降の話題提供で、データに基づく否定的見解が表明されていた。

 「系列」や「日本株式会社」については、少し前には米国からさんざん叩れ、日米貿易摩擦の原因になったという経緯がある。現在ではこれらもかなり崩れつつあるが、かつてはどうだったのだろうか。これも2番目以降の話題提供で論じられた。

 高野氏によれば、アメリカでは、個人主義に最も高い価値が置かれ、ルークス『個人主義の諸類型』()によれば、個人主義は「人類進歩の最終段階」であるとされているという。こうなると日本人は、まだまだ文明が進歩していない野蛮国家であり、異質であり、【アメリカの】ルールには従わないので、保護貿易のような別のルールを適用する必要があるという主張が支持を集めることになっていく。

]この出典についてはよく分からなかった。たぶん『個人主義と自由主義』の一節に書かれていることではないかと思うが未確認。

 高野氏の話題提供では、その具体的な例として、スーパーコンピュータのアメリカ市場からの締め出しと、映画『ライジング・サン』における「系列」エピソードが挙げられていた。

 なお、日本人の集団主義的行動の原因は、国民性や文化に起因したものではなく、日本独自の社会経済システムによるという「山岸説」というのがあるという。このあたりは私は素人で全く分からないのだが、要するに、「系列」というのは他の有利な取引機会を奪い、また「終身雇用」は他の有利な就職機会を奪い企業に忠誠を誓わせるという特徴を備えているということのようだが、不勉強のため、このあたりの論旨はよく分からなかった。




 ま、少なくとも、最近の日本では、旧来の制度や慣行はかなり崩壊しているようにも見える。このことに大きく寄与したのは小泉内閣であったと思われるが、さて、そのあとの安倍内閣や福田内閣はどう動いていくのだろうか。

 次回に続く。