じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
岡山大学構内の紅葉情報の第15回目(2007年11月21日撮影)。写真上から、
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【思ったこと】 _71121(水)[心理]日本心理学会第71回大会(57) 日本人は集団主義的か?(22)大学教員と年功賃金 前回の日記で さてに考慮すべき点は、実際に査定が行われていたとしても、そのことによって昇給、減給、降格、延伸などに該当する従業員がごく僅かの比率に過ぎないのであれば、結果的には、「年功序列」と同じようなカーブを描いてしまうことになる。と述べた。小池氏の話題提供からは脱線してしまうが、ここで、私の大学の給与体系について考えてみたいと思う。 従来、国立大教員の給与は、教授、助教授(現在は、准教授)別に昇給体系が決まっていて、特段の落ち度が無ければ毎年少しずつ給与が増え、55歳以降は昇給停止となるように定められていた。種々の手当に違いはあるが、基本的にはどこの都道府県の国立大に勤めていても額は同じであり、また、形式上は年功序列型となっていた。 法人化後はその体系が大きく様変わりし、私のところでは本年度以降、人事評価に基づいて、昇給やボーナスの勤勉手当分加算額が決まることとなった。つまり、人事評価の結果が低いと、年をとっても給与は全く増えず(←一わずかの定昇はあるらしいが)、ボーナスへの加算も行われない。結果的に、若い教員のほうが高齢の教員よりも高額の給与・賞与を受け取れるようになる可能性があり、そういう意味では、「年功序列」体系は消滅したといってもよいかと思う。 もっとも、冒頭にも述べたように、人事評価の結果によって加算される額が少なければ、報酬としてのインセンティブ(行動分析学で言えば正の強化効果)は全く無いということになる。あくまで未確認情報だが、じっさいのところ、人事評価の結果が高かった人のボーナスへの加算額はせいぜい3万円程度にすぎない模様である。いや、3万円でも増えればそれに越したことは無いが、中には、「3万円など加算されなくてもよい。会議や雑務をすっぽかして、好きな研究に没頭したほうがよっぽどエエ」という教員も出てくるかもしれない。 このほか、55歳以上の教員の場合は、昇給対象となっても増分はごくわずかにとどまるらしい。かくいう私もとうとう55歳になってしまったが、たぶん、どんなに頑張っても、税金や共済短期・長期で差し引かれる額のほうが増加し、手取り額ベースで昇給になるということは殆ど絶望的であるようだ。じっさい、ここ4〜5年、私の年間の実質的な収入総額は横ばい、もしくは微減状態が続いている。配偶者控除や定率減税が廃止されるとますます減っていくのではないかなあ。 とはいえ、大学教員が年功序列かと言えば、それも間違いだろう。教員はやはり、日々、切磋琢磨して教育活動や研究活動、学会活動、管理運営、地域貢献などに励まないと、そのポストにとどまることはできない状況にある。最近では教員組織の改組や移籍も頻繁に行われているので、働きぶりが悪ければそのさいの考慮対象になるだろう。 というように考えてみると、わざわざ人事評価をしなくてもそれなりに働きぶりはチェックされており、人事評価を給与や賞与に反映させるという新しい制度自体は、教育・研究活動の活性化のためにはあまりプラスにはなっていないようにも思える。人事評価のための申告書作成に何時間も費やすというのは、あまり生産的とは言えない。基本給を10万円くらいにして、残りの部分すべての額を人事評価で決めるというなら話は別だが...。 次回に続く。 |