じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 2月4日朝の月と金星(05時40分撮影)。2月4日は立春。いっぽうこの日の朝の月齢は26.3。新月を迎えるのは2月7日であり、この日が旧正月(中国の春節)となる。旧正月の前の立春は「年内立春」と呼ばれる。↓の記事参照。



2月3日(土)

【ちょっと思ったこと】

年内立春

 2月4日は立春。立春は、二十四節気の1つであり、太陽が天球上の黄経315度の点を通過する瞬間である(今年の場合は、日本時間2月4日20時00分)。いっぽう、旧暦のお正月は月の満ち欠けに基づいて正月を決めているので、必ずしも一致しない。立春のほうが旧暦正月より早く来ることがある。これを「年内立春」といい、今年はそれに該当している。

 なお、ウィキペディアの当該項目によると、太陰太陽暦と中国式陰陽暦(中国暦)は前者が春分起点、後者が冬至起点であることなど、いくつかの違いがあるという。また、俳句の季語の分類は節切りによるが、この節切りの正月は、立春から啓蟄の前日までとなるそうだ。

【思ったこと】
_80203(日)[教育]大学教育における競争的資金の活用(2)

 2月1日の日記の続き。GP等の申請は組織的な取り組みであることが前提となるが、実際には、推進母体が講座単位、研究・教育グループなどの部分集合に限られている場合が多い。そのさいに、全学的にどのような支援態勢がとられるのか、採択後、組織的な取り組みとしてどのように推進され、どのように定着させていくのか、ということは今回のシンポの大きな関心事であった。

 今回の3件の報告は、学内での事前の調整が必ずしも十分でなかったと思われるケースもあり、その一方で、研究科執行部者を中心に、中期的な構想のもとに申請を行い、エビデンスを伴った成果を挙げているというケースもあった。

 後者のケースに該当する報告では、博士後期課程の修了者、単位取得退学者、留年者の比率に言及されていた。私の所属する大学院研究科でも同じような傾向が見られると思うが、人文社会系の博士後期課程では、博士号を取得して終了する比率は決して多くない。今回報告のあった研究科では、修了者は10%未満、いっぽう、留年者は80%を超えていた。このことは文科省の答申や種々の外部評価でもしばしば言及されている問題である。このほか、修士・博士一体型大学院の問題点、院生の種々のニーズや院生間の「格差」などについても精密な分析が行われており大いに参考になった。




 2006年11月29日の日記にも引用したように、大学院教育改革のための支援策は
現代社会の新たなニーズに応えられる創造性豊かな若手研究者の養成機能の強化を図るため、大学院における意欲的かつ独創的な研究者養成に関する教育取組に対し重点的な支援を行うことにより、大学院教育の実質化(教育の課程の組織的な展開の強化)を推進する
ということを基本としている。要するに、博士号取得率向上のためには「教育課程の組織的な展開の強化」が求められているのであるが、人文社会系でこれを推進するのはなかなか難しい。概して、人文社会系の学問分野は非常に細分化しており、複数の教員が担当する「教育課程」で院生に何かを身につけさせ、それだけで博士号を授与するということには限界がある。博士後期課程の院生が取り組む研究課題は、指導教員の課題のコピーや下請けであってはならない。理工系の大学院ではしばしば、指導教員の課題のコピーや下請けで博士号を授与する傾向があり、だからこそ、タコツボ教育でないような教育課程重視の方針が打ち出されてきたわけであるが、人文社会系では、もともと、個々の大学院生が独自の研究テーマを持っていて、指導教員は院生の主体的な研究をサポートするという性格が強かった。それを今さら「教育課程の組織的な展開」に置き換えようとしても無理が生じるのである。

 ということもあって、人文社会系の申請では、従来のディシプリンとその中で行われている本流の大学院教育には手をつけず、どちらかというと、それぞれの教員の専門分野からやや離れた共通課題に関して、新たなコースや授業科目体系を編成するという形をとることが多かった。そのことは当然、個々の教員に、本来の教育・研究にプラスαの形の負担を強いることになる。このような形で申請を繰り返し、競争的資金を「尺取り虫」型に取得して生きながらえていくというのは、かなりの疲弊をもたらすことになる。こうした声は、私の所属する大学院でもチラホラ聞かれるようになった。

 タコツボ教育の弊害を改善し、博士号授与率を向上させることが急務であるとしても、単位取得と簡単な発表程度で学位を出すべきでない。そのことをふまえつつ、「大学院教育の実質化」は、まずは、今行われている「本流」の教育において行われるべきである。新奇性をねらったプラスαのコース編成にエネルギーを注ぐべきでない、というのが最近の私の考えである。

 次回に続く。