じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
予定より30分ほど早く到着したので、パシフィコ横浜の周辺を歩いてみた。さすが横浜だけあって、水と建物が見事に調和していた。
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【思ったこと】 _80210(日)[教育]大学教育改革プログラム合同フォーラム(2)佐々木氏の基調講演(2) 昨日に続いて、佐々木氏の基調講演についての感想。 昨日も述べたが、昨年拝聴した有馬氏の講演と今回の佐々木氏の講演は、どちらも前(元)東大総長の講演ではあったが、いくつかの点で内容やスタイルが異なっていた。有馬氏は理系ご出身ということもあるのだろうか、もっぱら、客観的な数値に基づいて議論を展開しておられた。いっぽう、佐々木氏は法学系のご出身のせいだろうか、スライドは使わず、もっぱら定性的な分析に基づいてお話をされた。これは心理学の研究でも同様だが、定量的なデータやグラフを多用した講演に比べると、「定性的」表現の多い講演は客観性に欠けるところがある。しかし、その分、種々の現象を深く掘り下げて分析するため、聞き手側の個人体験や暗黙の前提にピッタリ一致した時には「ああ、そうか」、「その通りだ」というインパクトを与えやすい効果がある。 今回の講演で「その通りだ」と思ったのは、学生からなかなか教育改革の声が上がってこないというご指摘であった。言うまでもなく、大学教育改革は、学生のために行われるべきものであり、学生に対して最も強いインパクトを与えるものでなければならない。しかし、これまでのGPは、教員組織内部の意識改革のレベルにとどまっている。 佐々木氏によれば、40年前の学生は、今よりは「声を上げて」いた(←40年前と言えば1968年頃のことですなあ)。もっともその時も、「大学の外のこと」について「大学の中」で声を上げているという傾向が強く、大学教育改革に直結したものではなかった。このあたりは私も同感である。あの頃は、といっても1968年には私はまだ高校1年生であったけれど、あの頃の学生運動のスローガンはもっぱら、大学の外を向いていた。学費値上げ反対や学生の処分撤回闘争といったものも、けっきょくは政治的に利用されるばかりで、大学教育改革に建設的に貢献するような性質のものではなかった。 もちろんそれぞれの大学により多様であるとは思うが、いまの大学生一般について言えるのは、自己主張の力が全般に弱いということであろう。ここでいう自己主張とは、自分の都合や欲求を一方的に求めるというものではない。俗に言う「空気を読む」力も必要であるし、何かを主張するからには、相手や集団の現状に配慮し、相手や集団を説得できるだけの根拠を用意した上で、きっちりと論を組み立てていく力が求められる。このあたりを磨くためには、やはり、大学教育の一環として「学士力」なるものを育てる要があるかもしれない。 知識の注入ばかりでなく、イノベーションが必要というご指摘も納得できる。佐々木氏がご指摘のように「イノベーションが必要」というのは、決して、イノベーションが必要だと言っている人を増やすことではない。口に出して言うだけなら簡単だし、それを言うことで同意も得られやすいが、その中身や、そのために求められる教育について具体的な提言をし、成果を上げるというのはそう簡単ではない。 余談だが、「環境教育」などまさに「知識の注入」ではダメで、むしろ、学士力を育てる手段としても、またイノベーションそのものを体得する場としても大いに意義があるように思う。2日目夕刻の「現代GP:環境教育」のセッションで私自身もそのことについて発言させていただいた。 このほか、「学士力」に関しては、学部横断的な視点、習慣づけ(1回だけ発揮されるというものでは困る)、それぞれの学問領域に合わせてブレイクダウンすること、教育の長期的な目標といった点が強調され、それぞれ参考になった。 次回に続く。 |