【思ったこと】 _80422(火)[心理]ダイバージョナルセラピー研修会(3)行動間の連携性の観点から一貫性や努力の積み重ねを見直す
昨日の続き。
オペラント強化の理論は、単一種類の行動の強化、つまり、個々の反応とその直後に随伴する結果(変化)という行動随伴性を基本として成り立っている。しかし、じっさいの日常生活では、ただ一種類の行動ではなく、複数種類の行動が相互に連携したり、また時には優先順位を争いながら競合するような形で次々と生起している。それゆえ、QOLの評価においても、単発的な行動リストにチェックを入れるのではなく、種々の行動がどう連携しているのか、あるいは競合/葛藤状態にあるのかを分析する必要がある、というのが、私の主張の主旨である。
ここでいう「行動間の連携」とは
- 複数の行動を適切に組み合わせることで大きな結果が得られるような場合:もの作り/研究活動/プロジェクト型作業などなど
- ある順序に従って、複数の行動を段階的に積み重ねることで大きな結果が得られる場合:受験勉強/スポーツ競技/種々のスキルの習得など
- 複数の行動が循環型(あるいは円環型)に次の行動機会を与えていく場合:「種まき→生育→開花→収穫→翌年の種まき」というような一連の園芸作業など
- 複数の行動が相互強化の関係にある場合:プレマックの理論として知られるような強化の相対性。
などのことを言う。但し、4.のプレマックの理論については、私は最近、あれは強化ではないのではないか、別の形で説明できるのではないか、という考えを固めつつあるが、ここではこれ以上深入りしない。
ここで念のためお断りしておくが、今回のテーマはあくまで、ダイバージョナルセラピー研修会に関連し、高齢者のQOLや介護支援のためのアセスメント(事前調査)を念頭に置いて考察しているのであって、一般的な「生きがい論」を展開しているわけではない。とはいえ、高齢者と若者の」生きがい論」に本質的な差違があるわけでは決してない。あるとすれば、高齢者の場合、若者と違って
- 余命が限られていて、40年や50年も先のことまでは見通しにくい。
- 体力の衰えや、種々の障害によって、やろうと思ってもできないことが増えてくる。
- 努力の積み重ねが必ずしも実を結ばないこともある。
- 労働に従事する必要は必ずしもない。
- 「〜をしてもよいが、しなくてもよい」という任意性の機会が増える(←現実には、逆に制約が多くなる)
- 自立困難となり、一定のサポートが必要になってくる。
- 弁別や記憶(記銘、保持、想起など)に障害が出てくる。
といった特徴が、「運用上の制約」を課しているというだけのことである。
元の話に戻るが、行動間の連携性という視点を持つことは、
- 一般に、目標を持つとイキイキしてくるのはなぜか?
- 努力の積み重ねにはどういうメリットがあるのか?
- 一貫した行動をとることは、そうでない場合に比べてどういうメリットがあるのか?
などの問題を、「行動的」に解明できる可能性をもたらしてくれる。要するに、「目標を持ちなさい」とか「努力の積み重ねは大事です」というのは、別段、校長先生の訓辞として承らなければならない性質のものではない。目標を持ったり、努力を積み重ねたり、一貫した行動をとることは、種々の行動の連携を可能にし、新たな強化機会を生み出してくれる力となるのである。このことは、若者のみならず、高齢者にもあてはまるはずだ。個々の断片的な行動を個別的に強化するのではなく、できる限り連携させることができれば、点としての行動ではなく、線、さらには面積や体積をもった行動に発展させることができる。そのことがまた、「じぶん」の存在を保つことにもつながる。
次回に続く。
|