じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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岡山大学構内でお花見(57)金木犀
大学構内各所で、金木犀の花が真っ盛りとなっており、よい香りが漂っている。写真は、黄葉が始まったケヤキを背景に撮ったもの。 |
【ちょっと思ったこと】
アイスランドの経済危機 各種報道によれば、アイスランド中央銀行は7日、ロシアから40億ユーロ(約5500億円)の融資を受けることで合意したと発表した。ネット記事をいくつか閲覧したところ、アイスランドは金融サービス分野に強く、グローバル化の波に乗って急成長していたが金融危機で弱みに変わり、銀行の経営危機が次々に表面化、同国通貨は米金融危機の始まりから対ユーロで4割以上も下落していたという。また、総人口約30万人のアイスランドでは銀行の預金総額が国家経済の中で大きな比重を占め、流出に歯止めがかからなければ国家財政が破たんする危機ともなるという。 アイスランドについては4月13日の日記で取り上げたことがあった。当時は豊かな国であるとの印象が強かったが、もともと、農業生産もままならない寒冷な国であり、地熱エネルギーに恵まれているとはいっても、資源の乏しい国ではあり、どこかに弱点があるのではないかと思っていた。今回のような危機に直面すると、自力で立て直すのはなかなか困難ではないかと拝察する。アイスランドは、島国、長寿、火山、温泉、クジラなどの点で日本と共通性が高い。このさい、日本政府の援助でチャーター便を運行し、温泉好きのお年寄りに格安旅行を楽しんでもらう企画でも組めば、経済支援になるのではないかと思ってみたりする。 |
【思ったこと】 _81006(月)[心理]日本心理学会第72回大会(13)超高齢者研究の現在(5)超高齢期の身体・心理・社会的機能とWell-being(2)well-beingのパラドクス(1) 昨日に続き、 超高齢期の身体・心理・社会的機能とWell-being という話題提供のうち、well-beingのパラドクスの問題について考えてみたいと思う。ここでいうパラドクスとは、超高齢者になると、身体機能が低下しても主観的な幸福感は必ずしもそれに比例して低下せず、項目によっては、前期高齢者より上回ることがあるというような逆転現象のことを言う。 このことについてはまず、本当にそういうパラドクスがあるのかというエビデンスを得ることが必要であろう。例えば、前期高齢者と超高齢者のあいだで比較に耐えうる公正なサンプリングが行われているかどうかという問題がある。また、仮に、数値上有意差があったとしても、それが、個体内で変化するものでなければ、パラドックスであるとは必ずしも言えないように思う。例えば、現時点での調査で、超高齢者の住んでいる場所が温暖な農村地域に多いとするならば、そのことが、幸福感を増やす要因になっているかもしれない。また、縦断的研究の場合は、それぞれの時代の文化的背景の影響も受ける。現時点で百寿者に相当する人々は、20世紀初頭、ちょうど、日露戦争のころに生まれ、大正時代に青年期を過ごし、第二次大戦の時にはすでに30代に達していた世代であった。このことが何らかの影響を及ぼしている可能性もある。 じっさい、今回の話題提供においても、パラドクスの原因についてさまざまな考察がなされていた。 まず指摘されたのは調査参加者のサンプリングの問題である。例えば、調査方法として、直接面接で調査した場合と、留置法を併用した場合では、後者のほうがPGC得点が有意に高い傾向にあったという。これは要するに、留置法で協力してくれる対象者のほうが、もともとPGC高得点者に多いということを示唆していると言えよう。 なお、これに関連して、それぞれの年齢別の得点分布をみると、95歳付近ころから、最高点が減少しつつ、低得点者も減り、全体として分散が狭まって平均点付近に収束する傾向があることも報告された。この原因はいくつか考えられるが、例えば、対象者が回答に無関心となり、差し障りのない「中くらい」に答える傾向が強まってきたということもありうるのではないかと思う。これは大学生対象の授業評価アンケートでもそうだが、関心が低いと、すべて「どちらとも言えない」に○をつけるといった、実質的な判断を回避するような中立的な回答に収束する傾向がありうる。また、回答者が御本人自身ではなく、お世話をしている家族の手によってなされた場合、ネガティブな回答は極力避けようとするかもしれない。 いっぽう、well-beingのパラドクスが実際にあったことを前提にした上での考察として、「“主体”としての自分の人生を描いていくための認知の変化、目標の修正、価値の方向転換」という解釈も提案されていた。これらの複合体の1つは“老年的超越”という概念でとらえられる、新しい心的状態の出現を示すものとされていた。もっとも、そのエビデンスを得るには、やはり、同一人物内での変化を縦断的に把握しているほかはあるまい。 次回に続く。 |