じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§  秋も深まり、太陽が南西の方向に沈むようになった。写真は、夕日が文学部の南側の窓ガラスに反射しているところ。秋分の日の1カ月後と、春分の日の1カ月前が見頃。


10月21日(火)

【思ったこと】
_81021(火)[心理]日本心理学会第72回大会(25)認知症の生と死を考える(2)アルツハイマーと「Auguste D」

 大会2日目午後に行われた

認知症の生と死を考える

というシンポジウムについてのメモと感想の2回目。このシンポでは3人の医師が話題提供をされたが、ここでは順不同で、お名前は記さずに、印象に残った点だけを述べさせていただく。

 このうち、最初の話題提供は、アルツハイマーについての入門的な解説であった。アルツハイマーが「Auguste D」という最初の症例を報告したのは1907年であり、今から101年前のことであるという。なお、話題提供では1907年となっていたが、ウィキペディアの当該項目で1906年となっていて1年早い。複数の学会で報告したのか、どちらかが単純なミスなのかは調べていない。

 ちなみに、「Auguste (Auguste Deter)」というのは、患者さんがいつも口にする言葉からそう呼ばれるようになったのであって、御本名ではないらしい。また現在では、患者さんの顔写真や経歴などは個人情報保護の観点からみてまず公開されることはあるまいが、この方の顔写真はウィキペディアの当該項目にも掲載されている。

 もう1つ、「Auguste D」は初診時51歳、その4年後(年齢としては56歳)に亡くなっているという。いっぽう、症例を報告したアロイス・アルツハイマー(Aloysius "Alois" Alzheimer)のほうは、ウィキペディアの当該項目では、1864年6月14日 - 1915年12月19日となっていて、51歳と6カ月余りでお亡くなりになった、アルツハイマーが亡くなった時の年齢は「Auguste D」の初診時の年齢と同一であり、アルツハイマーのほうが若くして亡くなられているというのは何とも空しい。

 それから、アルツハイマーの名を知らしめたのは、何と言ってもエミール・クレペリン(Emil Kraepelin、1856年2月15日 - 1926年10月7日)という精神医学者である。心理学をやっている者であれば真っ先に「内田クレペリン精神検査(クレペリン検査)」が頭に浮かぶが、ウィキペディアの当該項目にも記されているように、いちばんの業績は精神病を早発性痴呆(現在の統合失調症)と躁鬱病に分類し、近代精神医学の基礎を築いたことにある。

 次回に続く