じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



01月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§
 夕日に照らされる時計台と中央図書館。この季節は太陽が南西側に沈むので、夕刻、南東側の適当な位置に立つと「光る時計台」を眺めることができる。


01月15日(木)

【ちょっと思ったこと】

明け方はもはや夏の星座

 15日の早朝にいつものように散歩に出かけたところ、南西の空に蠍座が直立するような形で登ってきていた。東の空には夏の大三角形も見えている。1月もあっという間に半分が終わろうとしていることを実感。

 東の空のかなり高いところには、オレンジ色の異様に明るい星があり、一瞬、おや土星がこんなところに移動してきたのかと思ったが、星座の形をたどると、春の大三角形の1つであるうしかい座のアークトゥルス(アルクトゥルス)であることが分かった。ウィキペディアでも「視等級は-0.04等で、太陽を除けば、地球から見てシリウス、カノープスに次いで3番目に明るい恒星である。」と紹介されているように、この時間帯の夜空では、月に次いで2番目に明るい星であることは間違いないのだが、天頂に近いこともあって異様に明るい。

 しばらく歩いていると、からす座の四辺形の近くに、アークトウルスより遙かに明るい星があることに気づく。よく見ると真南の地平線方向に移動しており、しばらく経って減光してきたのでイリジウム衛星だろうと思ったが、予報には該当する衛星が見当たらなかった。国際宇宙ステーション(ISS)の予報にも該当する時刻は見当たらないし、だいいち、ISSが真西に動くことはない。おかしいなあ、何だったのだろう。

【思ったこと】
_90115(木)[心理]「血液型性格判断」が廃れない本当の理由(3)「血液型シナリオ」を演じる人々

 昨日の日記で、
もともと、「自分の持ち味」は科学的方法で発見するものではなく、「これが自分の持ち味だ」と信じ込むことが肝要(おみくじも同様)。よって、自分の「持ち味」を知るためには、必ずしも専門家の診断は必要ではない。
という形で、自分の「持ち味」を「探す」(←実際は「信じ込む」)手段として血液型本を利用している人がいるのではないかと論じた。

 今のような不確実な時代にあっては、自分一人で考えてもどうしてよいか分からないことが多い。科学的な根拠があろうと無かろうと、とにかく、何らかの指南書、ガイドブック、マニュアルのようなものがあれば、あれこれと思い悩む負担が減り、自信を持って道を進むことができる。血液型の場合は4通りというようにパターンが少ないので、このことが同じ血液型者の間で妙な連帯感をもたらしている可能性もあると思う(←本当は4通りではない。ABO型以外の血液型を組み合わせると、その総数は日本人の人口を遙かに超えるとは言われている。)。




 さて、もしこのような形で血液型本が読み続けられていくとすると、本当の自分が何であれ、とにかく、血液型本のシナリオを演じようとする人、つまり、血液型本に書かれた「特定の型」に自分自身を合わせてしまおうという人が増えてくる可能性がある。そういう人たちに質問紙調査を行えば、回答内容は血液型本通りになってしまう。結果的に、「大規模な質問紙調査の結果、回答傾向には血液型による有意な差違が認められた」というようなことにもなりかねない。

 これは大げさに言えばこういうことだ。血液型本に「X型の人は仏教、Y型の人はキリスト教が適している」と書かれてあったとする。それを読んだ人に「あなたはどの宗教が好きですか?」という質問紙調査を行ったら、その比率に、X型とY型で有意な差があったというようなことである。




 じっさい、ヤフーバリューインサイトの調査結果の【4】を見ると、
  • A型:自己肯定よりも、他の血液型を羨ましがる傾向。
  • O型:自分の血液型に対して最も前向き。
  • B型:「否定されている」と感じる人が最も多い。
  • AB型:「貴重な存在」という自己肯定が強め。
というように【長谷川による要約引用】、血液型本や記事などの表現物を(多少なりとも)見たり・読んだりする人たちのあいだではすでに、各血液型別に「独自の「血液型」観」が形成されていることが分かる。

 こうなってくると、日本人の行動特性等について大規模な質問紙調査を実施し、そこで何らかの血液型別の有意な差が確認されたとしても、それが、生来の血液型別の差違を反映したものなのか、それとも、血液型本のシナリオを演じている人たちの「血液型別の血液型観の違い」を反映したのかを区別することはきわめて困難ということになる。もし、血液型による行動特性の違いを純粋に学術的に調べようと思うのであれば血液型本が全く出回っていない別の国で調査するか、もしくは、「血液型本を全く読んだことが無く、関心も無い」という日本人に限定して調査を行わなければ、信頼できる結果は得られないと言っても過言ではない。

次回に続く。