じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
§§ | 多摩水道橋(狛江市と川崎市を結ぶ橋)から眺める富士山。2006年11月撮影。↓の記事参照。 |
【思ったこと】 _90304(水)[一般]「ひとりと一匹たち 多摩川 河川敷の物語」(2) 昨日に続き、 「ひとりと一匹たち 多摩川 河川敷の物語」 についての感想。 昨日も言及したように、多摩川河川敷にはおよそ900人の「ホームレス」(野宿生活者)の人たちが暮らしている。これは全国の河川の中でも最多であるという。 今回の番組は、「猫」をきっかけとした交流を描いたものであり、また、テレビの取材に応じてくれない人たちもたくさんいたはずであり、こうした野宿者の全体像を把握したものではないかもしれない。とはいえ、野宿者の中に、猫や犬を可愛がる人が多いことは事実であり、中には空き缶回収で得た収入のかなりを餌代につぎ込んでいる人もおられるように見えた。 番組でもいくつかのエピソードが語られていたが、野宿生活者に中には、一度は死のうと思った人が多いという。また、それまでの人生で人付き合いがうまくいかず孤独な生活を続けてきた人たちもいる。そういう人たちとお互いに支え合って生きているのが猫や犬たちであった。 番組のタイトル「ひとりと一匹たち」というのはなかなか奥が深い。野宿生活者たちの間では多少の交流や助け合いもあるが、基本的には自主独立であって、共同生活している人たちというのは見かけない。そういう意味ではあくまで「ひとり」である。また、猫たちのほうも、群れを作っているように見える場合もあるが、行動の基本単位は「一匹」となっている。 番組を拝見した限りでは、彼らの人生観をPFスタディの分類を援用して表現するならば
番組でも何度か言及されていたが、彼らは、野宿生活について、「世の中が間違っている」とか「解雇した会社が悪い」とは言わず、常に「自分の努力が足りない」というように原因帰属をしているようであった。また、現状についてあれこれ不平、不満を述べたりはしない。現在の境遇を受け入れ、その中で最善の生き方を貫いているようにも見えた。 御本人がその気になれば、生活保護やその他の支援を受けられるのではないかと思ったが、「自力で生きられる限りは他人の世話にはなりたくない」と考えておられるようであった。もっとも、上にも言及したように、今回の番組に登場した人たちが野宿生活者の全体像とは言い難い面もある。このまま成り行きに任せればよいという話にはならないだろう。 ま、いろいろな問題点はあるにせよ、番組に登場した野宿生活者たちの「生きる力」は崇敬の念を抱かせるほどの凄さがある。30歳代の「新参」者も言っておられたが、確かに強さというものがある。別のシーンで、すでに放棄された小屋を片付けに来た国交省の職員(関連業者?)が、テント内の汚さにあきれて思わず「こんな暮らしをしているくらいなら首をつって死んだ方がマシだ」とつぶやいたところ、居合わせた隣人の野宿者が声高に「誰も好きこのんでここに暮らしているわけではない。ここで生きるというのはそれだけで立派なことだ」というような言葉を発しておられたが(←正確な表現は失念してしまった)、このことも大いに共感できる。生きるというのは大変なことであり、生きられるというのはそれだけで立派なことなのである。 |