じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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トンビの模型に守られたソラマメ畑その後 昨年12月12日の日記(楽天版)で、農学部農場の畑で、ハトやカラスからソラマメの苗を守るためにトンビの模型が取り付けられたという話題を取り上げた。トンビのほうはその後、別の場所に移設され、ヒヨコ(←当初、アイガモと書いたが、アヒルのようにも見える)を守るために活躍している。いっぽう、ソラマメのほうは順調に成長し、まもなく収穫される模様である。 |
【思ったこと】 _80512(火)[一般]暗黒に支配される宇宙(3)肝心なことは目に見えない? 日曜日午前中に視聴した、 ●NHK教育(デジタル教育3):楽しむ最先端科学「暗黒に支配される宇宙」 という番組についての感想の続き。 講演の中で、
そのことはさておき、とにかく、宇宙は、可視光だけでは捉えがたいようなさまざまな存在や性質から成り立っている。講演では、「肝心なことは目に見えない」という『星の王子様』の言葉が引用されていた。 『星の王子様』の「肝心なこと」の本来の趣旨からは外れるが、宇宙が可視光だけで捉えられないということはいくつかの重要な示唆を与えてくれる。 まず、1月30日の日記でも取り上げた「宇宙旅行」との関連。その時にも、 「宇宙船」という鉄の箱の小さなガラス窓から地球を眺める程度の宇宙旅行であるなら、同じ資金で自宅をエンタープライズ号の指令室に改造し、巨大スクリーンでCG画像を楽しんだほうが遙かにリアルであろう。と述べたが、仮に宇宙船の窓が畳一畳ほどの大きさであったとしても、そこから眺められる宇宙というのはあくまで可視光の世界にすぎない。これは、望遠鏡で天体を眺める時も同様。というか、たいがいの天文マニアは、望遠鏡で直接星を眺めることを楽しむのではなく、むしろ、鮮明な天体写真を撮ることに没頭する。美しい天体というのは、肉眼では直接は見ることができない。写真という手段を介して、露光時間を長くしたり、肉眼より高感度の装置を使って初めて美しい世界に接することができるのである。 重要な示唆の2番目は、太陽の光の主要部分はなぜ可視光であるのかという問題である。講演の中でも説明されていたように、太陽光の波長の主要部分が可視光であるというのは不思議でも何でもない。太陽という星の下で、その光を浴びて進化した生物であればこそ、太陽光に最も感度が高くなるような感覚器官を身につけたに過ぎないのである。その証拠に、生態に応じて、赤外線への感度が高い動物や、超音波を発して障害物を避ける動物もいる。また講演でも言及されていたように、シリウスのような星のもとで進化する動物があれば、おそらく、もう少し波長の短い光に感度が高くなるような形で生物は進化したはずである。 というように考えてみるに、とにかく、可視光により目に見える世界は、真の姿のほんの一部分にすぎず、全体像をとらえるためには、感覚器官に直接依存しないさまざまな測定ツールが必要であるということが分かる。そしてさらに、物理的な方法では測定不可能であるような「存在」についても、他の諸現象の連関の中から「存在」を仮定し、できうる限りその性質を解明し、より簡潔で矛盾のないように説明を試みようとするのである。 もっとも、「肝心なことは目に見えない」という場合の「肝心」というのは、ここではあくまで理論的、学術的な意味としての「肝心」である。我々はしょせん、感覚器官を通してしか「感動する」ことはできない。今の世の中では学術的な意味での観測対象としてはそれほど重要でなくなってしまった「皆既日食」、「オーロラ」、「虹」などが、美しいものであることには変わりない。これは耳で聴く音楽や、鳥のさえずり、虫の鳴き声についても、また、おいしさや香りについても言えることである。ダークマターやダークエネルギーの「存在」を傍証する観測事実に接することは、観念的には感動できるであろうが、それは、その道の専門家に限られてしまう。私のような素人が五感を通じて感動することはまずない。宇宙マイクロ波背景放射にゆらぎなども、私にはただの濃淡模様にしか見えず、率直なところ、空に浮かぶ雲のほうがよっぽど美しく見えてしまうのである。 次回に続く。 |