じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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2009年版・岡山大学構内でお花見(49)コゴメバオトギリ

時計台前に咲く黄色い花。ネットで検索した限りでは、花の形や、葉っぱの形・特徴からオトギリソウの仲間のコゴメバオトギリではないかと思われる。時計台前では数年前から生息が確認されている。除草剤をかけられて地上部が枯死する年もあるが、翌年に復活している。


5月25日(月)

【ちょっと思ったこと】

モンゴルのマンホールチルドレンについての追記

 昨日の日記で取り上げたNHK「マンホールチルドレン」について、感想と疑問をもう少し述べておきたい。

 まず、こちらのサイトによれば、この番組は
  • 【1】1998年

    日曜スペシャル「マンホールチルドレン〜混迷するモンゴルからの報告〜」
    チャンネル:BS1
    放送日:2008年 3月22日(土)
    放送時間:午後10:00〜午後11:00(60分)
    番組内容:−飢え・寒さ・暴力・街をさまよう子供たち− −深夜の収容作戦−(1998年4月19日放送)
  • 【2】2004年

    BSドキュメンタリー「マンホールで大人になった」−再訪・厳寒のモンゴル−
    チャンネル:BShi
    放送日:2008年 3月12日(水)
    放送時間:午後8:00〜午後9:30(90分)
    番組内容:1998年社会主義崩壊後の混乱のなかで貧しくマンホールで暖をとって暮らしていた子どもたちのその後を2004年にたずねたドキュメンタリーシリーズの第二弾
  • 【3】2008年
    ハイビジョン特集「10年後のマンホールチルドレン」
    チャンネル:BShi
    放送日:2008年 3月13日(木)
    放送時間:午後8:00〜午後9:50(110分)
という3回にわたって放送された模様である。しかし残念ながら、私の家には衛星放送の受信設備が無く、これらを視聴することは全くできなかった。

 私がDVDで視たのは、これらを1本にまとめて5月21日に放送されたものの録画であり、あなたが選ぶBS20歳の名作集の番外編であったようだ。1本にまとめた際におそらく一部がカットされたのではないかと思うが、1998年から2004年、さらに2008年に至る過程でいくつか不自然に思える展開があった。

 この番組では、同じグループで行動していたボルト(1998年当時13歳)とダシャ(14歳)という2人の少年と、これとは全く関係の無い少女たちのグループのリーダー格であるオユナ(13歳)という少女が中心に取り上げられていたが、今回の総集編?を視る限りでは、ボルトとダシャの少年グループとオユナの少女グループの間には何の接点も見出せなかった。この疑問はこちらのサイトでも取り上げられていた。

 もっとも、別のサイトのあらすじ紹介によれば、1998年当時を扱った「マンホールチルドレン〜混迷するモンゴルからの報告〜」では、オユナの行動がもう少し詳しく取り上げられていた模様である。このあたりがカットされてしまっていたのでは、なぜオユナがボルトやダシャと出会ったのかがさっぱり分からない。

 オユナは、ボルトと結婚する前、16歳の時に別の男と結婚し出産していた。しかしその後、オユナがマンホールチルドレンであったことが夫の両親に知れて離婚させられ、子どもに会わせてもらえなくなった。そのことがもとでアルコール依存になったと紹介されていた。しかし、その状態からどうしてボルトと結婚し、娘を出産したのかもよく分からなかった。念のためNHKオンデマンド・特選ライブラリの一覧を探してみたが、ザッと見渡した限りでは未だ「書庫」には保管されていない模様である。

 このほか、
  • 1998年版で、ボルトが母親のもとに帰省する場面
  • 2008年版で、オユナが最初に産んだ子どもと再会する場面
  • 2008年版で、ボルトが有料のキッズランドで娘と遊ぶ場面
  • 2008年版で、オユナがボルトや娘(←本当はダシャの子)と一緒にオユナの叔母の家に戻る場面
などは、貧しさの実態、相手との連絡手段がとりにくいという事情からみて、彼らが自ら計画し自力で行動に移したとはちょっと考えにくい。それと収入が低い割には、新しい服を着て外出しているようにも見える。やはり、取材スタッフのお膳立てがあったのではないかなあ。

 ま、いろいろな不自然さ(もしくは3番組を1本にまとめたことによる不用意なカット)は目につくが、マンホール生活者が現に存在し、貧困の悪循環から抜け出せない状態にあることは確かである。ネットで検索したところ、支援活動を行っているNOPがあることも分かった。

 番組の最後のところで一番気になったのはやはり、ボルトの将来である。ボルトは、2004年当時には自力で家を建て、家族を呼び寄せたり、ダシャを居候させていたりして、あの3人の中では最も明るい夢を語っていたが、ボルトやオユナ、さらにはリサイクル買い取り業者ともいさかいが絶えず、2008年のモンゴル正月の頃にはどん底のマンホール生活を余儀なくされていた。本人の口からは「知り合いと一緒に中国に行って新しい商売を始める、これからがオレの人生の始まりだ」というようなことを口にしていたと記憶しているが、身元保証がなくパスポートも取れず、中国語の読み書きが全くできないという状態のもとで中国に入国できるのかどうか甚だアヤシイ。何かの犯罪に手を貸すことになりはしないかと気がかりである。あれからすでに1年以上が経過しているが、今どこでどうしているのだろう。