じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



07月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§
 2009年版・岡山大学構内のキノコ(9)内臓型のキノコ

 早朝の散歩時に見かけたキノコ。少し前に胃のバリウム検査を受けたところであるが、たぶんこんな形に写っているのではないかと思われる。なお、すぐ近くの別の樹には考えるキノコも出現している。


7月23日(木)

【思ったこと】
_90723(木)[心理]便所飯(べんじょめし)の真相

 10日ほど前のことになるが、「トイレの中で弁当などを食べる」という便所飯(べんじょめし)のことが話題になった。Googleで「便所飯」を検索したところなんと25万件以上がヒット。各種情報を閲覧したところ、どうやら、
  • ネット掲示板などで数年前から、この種の話題が語られていた。
  • ウィキペディアにはかつて「便所飯」の項目があったが(こちらに証拠画像あり)、客観的根拠に乏しいという理由からか、現在は削除されている。
  • 7月6日の朝日新聞夕刊に“友達いなくて便所飯? 「一人で食べる姿、見られたくない」”という見出しの記事が掲載された(こちらに画像あり。
  • その後、民放のワイドショー番組でも取り上げられる(こちらに証拠画像あり)。
  • しかし、トイレ内の「トイレは正しく使いましょう」という貼り紙は大学名を詐称したものであること、また、「聞いたことはある」というウワサばかりで客観的証拠に乏しいことから、都市伝説とみる向きが多い。
 なお、「便所飯」の削除に関してはこちらにも詳しい紹介がある。私がよく分からないのは、この記事の日付が2008年8月2日となっていて一年前であること、そこにもまた、朝日新聞夕刊(但し、大阪版)が登場しているということであった。

 どうやら、朝日新聞の地方版は、1年前と今年の7月というように、少なくとも2回にわたって「便所飯」を取り上げている模様であるが、何か進展があったのだろうか。このほか、社会学がご専門のT先生(大阪大学)が必ず登場されているということも興味深い。




 ところで、削除前のウィキペディアの当該項目では、「便所飯」は
便所飯(べんじょめし)とは、便所の個室で食事をする行為の事。友人のいない者、主に学生や女性が、一人で食事をする寂しい姿を見られないよう、衆目を避けて食事を取る目的で便所飯に及ぶ。
というように定義されていたらしい(あくまで孫引きのため不確か)。

 当初、この「伝説」を伝え聞いた時に私は、「食べているところを他人に見られるのが恥ずかしいので、こっそりとトイレの中で食べる」という現象であろうと誤解していた。じっさい、野生動物の中には、外敵に襲われず、またせっかくの獲物を仲間から奪われないように、こっそりと食事をする習性を持った動物もいる。またこれはあくまで、テレビ番組で伝え聞いた話であるが、回転寿司屋にボックス席ができた理由の1つは、たくさん食べているところを見られたくない女性客に配慮したためであるとか。とにかく、食事行動が排泄行動と同じくらいに恥ずかしい行為であるという文化があっても不思議ではないと思うのだが、その一方、人は、ニホンザルの群れのように集団で採食したり、共同で炊事をする習慣を持っていたので、みんなと一緒でなければ食事できないという傾向があったとしても、これまた不思議ではないと思う。

 しかし、いずれにせよ、いま上に述べたことは私の誤解であって、「便所飯」の「伝説上の」定義は、一人で食事をするのを見られるのが恥ずかしいということであったようだ。確かに生協食堂では、多くの学生はみな友達同士で食事をしているようである。もっとも、教員の場合は、、一人だけで物静かに食事をすることを好む人も少なくないように見える。私などはまさにその典型であり、食堂で偶然に知り合いと出会った場合は別として、原則的には、食堂の隅のほうの静かなところで、物思いにふけりながら食事をすることを好む。もともと私は食べるのが遅いほうなので、他の人と一緒に食事をするとせかされてしまって消化不良になる。それと、向かい合って食事をするときに相手がはき出すツバが自分のお皿に飛び込むのを見ると、たちまち食欲を無くしてしまうのである。

 とにかく、私自身は学生時代からそういうスタイルで食事をすることを好んでおり、「一人で食事するところを見られると恥ずかしい」と感じたことは一度も無かった。

 元の話題に戻るが、いくら「一人で食事するところを見られると恥ずかしい」といっても、便所以外にも食事ができる場所はたくさんあるはずだ。それと、トイレは次々と利用者が出入りするので、必ずしも個人空間を占有できる場所ではない。やっぱり「便所飯」というのは、誰かがでっち上げ、マスコミがそれに釣られて誇大に取り上げた都市伝説であろうと思う。但し、その言葉に象徴される社会現象は一概には否定できないと思う。だからこそ、そういうウワサが広まり、新聞ネタにまでなってしまうのだろう。