じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 半田山上空に現れた筋状の雲。飛行機雲のようにも見えるが、これより天頂方向には雲が無い(飛行機雲であれば、空一面に航跡が伸びるはず)。謎である。


8月22日(土)

【思ったこと】
_90822(土)[一般]昭和35年の意味(3)慶大の「ミッキーマウス」と早大の「フクちゃん」

 昨日の日記の続き。

 番組の終わりのほうでは、早慶六連戦の話題が取り上げられた。東京六大学野球は、高校野球で活躍した選手が入学したり、プロ野球に多くの一流選手を輩出していることもあって今でもしばしば話題になるが、当時は、新聞やラジオで取り上げられるスポーツ競技の種類が少なかったせいであろうか、大学野球は今よりも遙かに注目されていたように思う。

 ちなみに、父親が早大出身だったこともあって、小学校高学年の頃には何度か、六大学野球観戦に連れて行ってもらったことがある。もっとも、対戦相手は、明治、法政、立教ばかりであって、早慶戦は一度も観る機会が無かった。満員・大混雑の人気で、気軽に観に行けるような状況ではなかったのである。

 ところで、今回の番組を観て思い出したのだが、早慶戦の時は、応援スタンドの上段に、早大は「フクちゃん」、慶応は「ミッキーマウス」の巨大看板が掲げられていた。あの当時は、著作権問題などは大目に見られていた時代であり、特に「慶応=ミッキーマウス」というのは、かなり定着していたように思えた。

 しかし、念のため、「慶応大学 ミッキーマウス」で検索したところ、こちらのサイトほかに関連情報があった。要約すると、
  • 1952年にデコレーションとして、ミッキーマウスが使われる(イメージキャラクターになったのは前年だが、そのときは大看板は登場していない)。早大の稲穂のマークに対して、稲を食べるネズミというのがヒントであるという説もあり。
  • 1958年に著作権の問題で、デコレーションはミッキーからマイティー・マウスに変わる。
  • ところが、1965にミッキーマウスが、デコレーションに再登場。
  • 1981年まで15年以上マスコットとして使用されてたが、この年を最後に、ミッキーマウスは再び使用禁止になる。
  • 翌年の1982年からは、「ユニコーン」がマスコットとして続く。
となっており、結構複雑な変遷をたどっていたようである。

 いっぽう「早大=フクちゃん」のほうも、厳密には使用許諾の手続きが必要であったようだが、こちらの追悼文
横山氏の代表作「フクちゃん」は、1960年ごろから、六大学野球の早慶戦で早稲田側マスコットとして使わせていただきました。とくに氏に対して使用許諾の手続きなどはとらないままでしたが、氏は「早稲田の杜だけは著作権なしの治外法権」と容認されました。「庶民の大学早稲田」のイメージづくりに果たした役割は計り知れず、その作者として横山氏には1998年10月に早稲田大学「推薦校友」になっていただきました。
とあるように、著者とは円満な関係にあった模様。しかし、現在では、早大のシンボルマークは「熊」(←大熊重信の苗字由来か)になっているらしい。

 余談だが、私が中学・高校の頃は、運動会の各チームの応援席の後ろに、人気キャラの巨大看板が掲げられていた。記憶に残っているのは、ひょうたん島の「トラヒゲ」、ジャングル大帝の「レオ」、「あしたのジョー」などであった。厳密に言えばこれも著作権法違反なのかもしれないが、中学・高校の運動会の応援看板が訴えられることはまずないと思う。早慶戦となると少なくとも当時は、国民的関心事でもあり、当時のテレビニュースやニュース映画などでもしばしば紹介されていたので、問題視されてしまったのだろう。

 不定期ながら次回に続く。