じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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ネコの額を接写する。 馴染みのネコの顔を接写。「猫の額」は、場所の狭いことのたとえとして用いられるが、他の動物に比べて特段に「狭い」という印象は受けない。 |
【思ったこと】 _a0218(木)[一般]オリンピックは、個人を応援するのか、国を応援するのか(2)国母選手問題とオリンピック憲章 昨日の日記で、国母選手の服装や態度に関して、「国の代表として派遣されている以上はそれなりにわきまえるべき点があるとは思う」 と書いたところであったが、各種報道によれば、本日、スノーボードの男子ハーフパイプの予選と決勝が行われたそうである。国母選手は予選では42.1点の高得点をマーク。しかし決勝1本目の滑走では得意技のマックツイストに続き、ダブルコーク1080(テンエイティー)を決めたがバランスを崩し、着地に失敗して30.5点。2本目はフロントサイド、1080、ダブルコーク1080を決めたが、35.7点に終わり、まことに残念ながらメダルは獲得できなかったという。今後のご活躍に期待したい。 競技は終わってしまったが、国母選手の問題についてもう少しだけ意見を述べさせていただく。まず、服装がスポーツマンらしくないというような声もあるようだが、私は、個人としての服装や態度は、他人に迷惑をかけない限りは好き勝手にすればいいと思っている。但し、代表団の一員として行動する時には当然、その組織で決めたことに従わなければならない。これは、幼稚園の子どもたちが遠足をする場合でも同様である。 もう1つ、日本政府が代表権を与えているわけではないから国の代表とは言えないという意見もあるようだが、これもおかしい。誰が代表に選ばれるかという選考の問題と、選ばれた人がどういう形で派遣されるのかは別の議論である。代表として誰を選ぶのかは、それぞれの領域の専門家ではなくては判断できないし、日本政府がいちいち干渉したらますますおかしなことになる。しかし、どういう形で選考方法を委託しようが、最終的には、税金を使って選手団の一員として送り出すのであるから、これはどうみても「代表」である。 もっとも、オリンピックが本当に国どうしの競い合いなのかどうかはもういちど原点に立ち返って考えてみる必要がありそうだ。 JOCの公式サイトの中の、オリンピック憲章の解説のところには とある【改行等、一部改変】。 念のため、さらに検索をしたところ、JOCのコンテンツの中のオリンピック憲章2000年版の規則8付属細則の9のところに、確かに、 1 オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。オリンピック競技大会は、そのために当該NOCから指名を受け、IOC がその参加を認めた選手たちが一堂に会し、当該IFの技術的指導に従い競技の成績によって競争する大会である。と記されていることが確認できた。 オリンピックで個人参加が認められるかどうかというと、だいぶ前のモスクワオリンピックのボイコット問題が思い出される。あくまで素人なりの解釈であるが、あのときに柔道の山下選手が出場できなかったのは、日本政府がボイコットを決めたからではなく、あくまで、JOCが不参加を決定し、JOCから指名を受ける形の個人参加ができなかったことによるものではないかと推測される。 もとの話題に戻るが、ボブスレーのオリンピック選手は、国際スキー連盟公認の大会でこつこつと成績を上げて出場権を勝ち取っただけであって、日本政府や全日本スキー連盟や日本オリンピック委員会が選手に出場権を与えたのではないという説が流れているようであるが、JOCが指名をせずにオリンピックに参加できるというのは奇妙な気がする。やはり、形式上は、JOCの最終承認のもとに代表として選ばれているのではないだろうか。それとも、いくつかの人気種目については、特例的に、NOCを通さないで出場者を決めることが認められているのだろうか。 次回に続く。 |