じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2010年版・岡山大学構内でお花見(20)シダレザクラの花 岡山市の3月27日朝の最低気温は、なんと氷点下0.5度まで下がり、車のフロントグラス一面に霜がついていた。数日前に咲き始めたソメイヨシノは残りの蕾を固く閉じていたが、文化科学系総合研究棟前でそれより前から花を開いているシダレザクラのほうは今が見頃となっている。後ろは半田山、左端の建物は文法経2号館。 |
【思ったこと】 _a0327(土)[心理]タダでもうける?!“無料ビジネス”の舞台裏(8)無報酬の方がすすんで働くことがある、と言うが...(3) 3月22日の日記で、行動経済学に対しては、「人間を「快楽を最大化するロボット」と考える功利主義の変種である。」といった批判があることに言及した。 この「功利主義」という言葉は、最近拝読した 佐伯胖 (2010). 「適応」か、「相互構成」か、「参加」か. [石黒広昭・亀田達也(編). 文化と実践 心の本質的社会性を問う. 第4章 新曜社. pp.161-183.] の中でも山岸モデルに関連して使われていたことを思い出した。そこでは 人間を行動に駆り立てているのは対象の効用(utility)であるとする功利主義原理がある。但し、山岸は「効用」という言葉の代わりに「誘因(incentive)」ということばを使っている。と位置づけられ、 ...近年の研究では、個人主義的功利主義を基盤とする限り、いかなる社会的選択も論理的矛盾をはらんでいることがわかっている。としている。 この種の議論でいつも疑問に思うのは、なぜ、行動分析学の強化原理には言及されないのかといことだ。単にご存じないのか、意図的に無視しているのかは不明だが、強化原理は決して人間を「快楽を最大化するロボット」と見なすものではないし、「対象の効用(utility)」を唯一とするものではない(←もちろん、そういう方向を目指している量的行動分析もあるが)。 いずれにせよ、行動随伴性でいうところの「行動とその結果」の「結果」は報酬と同一ではない。「感謝」や「貢献」や「達成」も好子(強化子)として充分に機能する。 なお、最近、Glennも指摘しているように「行動とその結果」という時の「その」は「行動」とは同一ではない。「反応→直後の結果」というような断片的・単線的な関係だけでは行動はとらえきれない。「行動とその結果」ではなく「行動を通じた外界との関わり」と表現したほうが適確であるとも言える。「結果」という部分を重視するのは、行動分析のプロセスにおいて操作上の再現可能性が必要となるためであるが、この議論はまた別の機会にさせていただこうと思う。 ということで、今回の連載はとりあえず終了させていただく。 |