じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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新緑のモミジ。2009年11月30日掲載の紅葉の写真と同じ樹。紅葉の時ばかり注目していたが、この季節の新緑もまことに素晴らしい。 |
【思ったこと】 _a0507(金)[一般]私の1冊 日本の100冊 妻の実家から岡山に戻る5月5日の早朝、全く偶然に、 私の1冊 日本の100冊集中再放送 という番組を視た。 この日の放送は
1番目の『小僧の神様』は小学校の頃に読んだきりであった。紹介者の小山氏も指摘しておられたが、私も子どもの頃は、あの作品は、仙吉(小僧)の視点からの不思議な体験談といったとらえ方をしていた。しかし、あれはじつは、Aという大人の視点から、どうすれば小僧を喜ばせられるか、こんな形のプレゼントでよかったのだろうかと思いを巡らす小説であったようだ。 小山氏はまた、この小説の最後の「『Aの住所に行ってみると人の住まいが無くそこには稲荷の祠があり小僧は驚いた』というようなことを書こうかと思ったが、そう書くことは小僧に対して少し残酷な気がしたため、ここで筆を擱く」という部分の意味についても論じておられた。なるほどそうだったのか。 2番目の須賀敦子氏については、紹介者の福岡氏同様、須賀氏がお亡くなりになってからの追悼記事などを通じて初めてそのお名前を知ったという経緯がある。但し、私自身は実際の作品を1冊も拝読したことがない。 3番目の『ノラや』は、岡山ゆかりの内田百閧フ随筆であるというが、私はまだ拝読したことがない。私にも馴染みのネコが数匹居るが、私の場合、あそこまで溺愛することはない。 4番目の方丈記は、「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」までは知っているが、その後の文章は、受験参考書等の問題文として悪戦苦闘した以外は、全く拝読したことが無かった。紹介者の福原氏は鴨長明時代の世相をバブル崩壊と関連づけておられたが、その後のリーマンショック、ごく最近のアイスランドやギリシアの経済危機の問題など、最近はますます混沌とした、変化の激しい世の中となっている。私もそろそろ鴨長明の世界に入りつつある。 なお、今回取り上げられた作品の中では、方丈記のみが青空文庫で閲覧できる模様である。青空文庫で太宰治の作品223点が読めるのに、志賀直哉や内田百閧フ作品が閲覧できないのはちょっと不思議な気がするが、太宰は1909年生まれで1948年没、志賀直哉は1883年生まれ、内田百閧ヘ1889年生まれでどちらも太宰よりは10〜16歳も年上なのでそう思うのも当然かもしれない。しかしお亡くなりになったのは、どちらも1971年で太宰よりは遙かに長生きされた。青空文庫で閲覧できないのは、著作権がまだ存続しているためであろう。 |