じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 大学構内で殖えつつあるマンテマ。『街でよく見かける雑草や野草がよーくわかる本』(秀和システム)では、白または薄桃色の単色系は「シロバナマンテマ」、白い花弁に赤紫色の大きな斑点が入ったものは「マンテマ」として区別されているが、写真下のように、大学構内では2種が混じって生えているところもある。昨年と一昨年の写真が の日記にあり。



5月27日(木)

【思ったこと】
_a0527(木)[心理]2010年 人間・植物関係学会 10周年記念大会(5)柳田邦男氏の基調講演(2)/さるかに合戦

 昨日の続き。

 講演の中で柳田氏は、絵本が心の発達にとって大切であることを強調された。
21世紀になってIT社会という、見えない危険が広がっている。バーチャルなもの、便利なモノは危ない。家族もバラバラに過ごすようになってきた。人間は不自由な中で、何も無い中で苦労して育つことが大切である。
というようなご趣旨であると理解した(あくまで長谷川のメモに基づくため不確か)。
 柳田氏はさらに、子どもは7〜8歳までは空想と現実の境が無いこと、機械を通したコミュニケーションによって感情が枯渇していくことの危険を指摘し、親が絵本を読み聞かせながら共に感動していくなかで、しっかりと言語化する力が身についていくというようなことを強調された(あくまで長谷川の記憶に基づくため不確か)。

 柳田氏はTVゲーム等の批判者として知られておりウィキペディアでは、以下のように紹介されている。
近年ではネット・ゲーム・若年層に対する否定的な見解を述べているが、それらは主に下記の通りである。
  • ネットやコンピューター・ゲームが「ゲーム脳」を作り、子供をだめにしている
  • ゲームにふけっていると仮想現実の世界と現実の世界の区別がつかなくなる
  • 若者たちはいまや総ケータイ依存症になっているから、自分たちを変だとは思わない
柳田の弁によれば“その根本は「ネット社会がこの国から奪いつつある『大切なもの』を守ろう」という思いから来ている”(「人の痛みを感じる国家」(新潮社))。

しかしながら、これらの根拠については「科学的検証など無用」と著書「壊れる日本人」内で きわめて無責任な弁明に終始している。
 ちなみに、私自身は、TVゲームは一長一短があると考えており、アクションゲームには一部否定的であるが、RPGゲームの中には思考・推理力を育てるような秀作があるという考えも持っている。もっとも、人間は一度に1つのことしかできないので、ゲームに熱中する時間が増えれば増えるほど、他の行動機会が奪われてしまうのも事実である。絵本を読む時間が減るばかりでなく、自然と直接に触れ合う機会も減ってしまう。そのようにトータルで見ていけば、やはりゲームにふけることは問題が多いとは思う。

 もう1つ、今回、柳田氏が推奨されたのはあくまで印刷・製本された古典的な絵本であったようだが、今の時代、一部CGを利用したアニメもあるし、また紙媒体ではなくて電子書籍型の絵本も普及していくにちがいない。その場合、単にITだから悪いとは一概には言えないと私は思う。

 それから、古典的な紙媒体型の絵本の中にもいろいろなジャンルがあり、常に子どもに良い影響を与えるかどうかは個別に検討する必要があるようにも思える。

 今回の学会に向かう途中のことであったが、たまたま隣の席に座っていた男の子(おそらく幼稚園児)が、『さるかに合戦』の絵本を声を出しながら読んでいた。以下、ほぼ同一内容の文の一部を転載すると(一部省略、改変)、
  1. 【柿の木を育てる場面】「早く芽を出さないとハサミで切るぞ。」とカニが言うと、柿の種はあわてて芽を出しました。そして、「早く大きな木にならないとハサミで切るぞ。」とカニが言うと、柿の芽はあわてて大きな木になりました。こんどは、「早く実をつけないとハサミで切るぞ。」とカニが言うと、柿の木は真っ赤に熟した実をつけました。
  2. 【母カニ殺害場面】サルは青くて硬い実をカニに投げつけました。柿がカニに当たり、ずたずたに潰れてしまいました。すると、そのお腹から、カニの子どもたちがいっぱい出てきました。
  3. 【敵討ち場面】サルは逃げようとしましたが、牛のフンにずるっとすべって、転びました。その時、屋根にいたウスがドスンと落ちました。「痛い痛い、もう悪いことはしません。許してください」とサルは謝りました。
 ウィキペディアの当該項目にもあるように、『さるかに合戦』にはいろいろなストーリーの展開がある。教育上の配慮から、上記2.のとこでは「カニは大けがをして家に帰った」と書き換えられているものもあり、逆に3.のところで、猿はつぶされて死んでしまうという結末、(菜切り庖丁が助太刀に含まれるストーリーで)味噌桶に隠れていた菜切り庖丁に手を切られて血が飛び散るシーンを描いた絵本などもあるという。

 上掲1.の柿の木を育てるストーリーは大体共通しているようだが、これなんぞも、いじめっ子が「早く、カネ出せ弱虫め、出さぬとほっぺたぶん殴るぞ」と脅迫しているのと同じ方法であって、教育的配慮をするなら、「カニは、毎日いっしょうけんめい水や肥料をやって、真心こめて柿の木を育てました」とでもすべきところかと思う。それから、私自身の心情としては、母ガニが殺されたということであれば、犯人の猿が謝ったくらいでは済まない、やはり、臼でぺちゃんこに潰して敵討ちを達成するべきであろうと思う。

 さて、この男の子は、読み終わってから隣のお母さんとこんな会話をしていた(盗み聞き失礼、大阪弁のところはかなり不確か)。
  • 【男の子】カニのお母さんは死んでしもうたけど、子ガニがいっぱい生まれたからかえってエエかも。
  • 【お母さん】でも、お母さん死んでしもうたら、子ガニたち寂しいやろ。
  • 【男の子】臼や蜂や栗は、子ガニと一緒に家族みたいにして暮らすんやろうなあ。
この会話を聞いて、私はきわめて複雑な気持ちになってしまった。サルカニの絵本は、この男の子にどういう影響を与えたのだろうか。

 次回に続く。