じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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出陣直前のセミ。

 早朝の散歩時に、羽化がほぼ終わった蝉を見つけた。蝉の羽化については、2005年6月30日の日記
...抜け殻から出てくるセミというと「新しい世界への門出」のように思われがちであるが、セミというのは6年ほどを地中で過ごし、地上に出て最後の脱皮をして成虫となる。成虫の寿命は約2週間だけであることからみて、セミの一生の主要な生活空間は地下であって、子孫を残して死ぬために地上にはい上がってくるとも言えよう(2001年7月26日の日記参照)。帰りの燃料を積まずに飛び立つ特攻機の離陸風景のようにも見える。
と書いたことがあった。自分自身が歳をとったせいもあるが、蝉の羽化の場面は明るい未来が開けているような門出にはどうしても見えない。確実な死を覚悟しつつ、生涯一度の大舞台に挑む姿のように見える。


7月25日(日)



【小さな話題】

森毅先生ご逝去

 数学者の森毅先生が、7月24日19時半、敗血症性ショックでお亡くなりになった。京大でも「名物教員」として名をはせ、退職後も評論や執筆に精力を注いだが、昨年2月に自宅で料理中に大やけどを負い、入院生活が続いていたという。

 ウィキペディアでは、森先生の御略歴は以下のように記されていた。
  • 旧制北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)卒業
  • 第三高等学校卒業
  • 1950年 東京大学理学部数学科卒業
  • 1951年 北海道大学理学部助手
  • 1957年 京都大学教養部助教授
  • 1971年 京都大学教養部教授
  • 1991年 退官、京都大学名誉教授
 私自身は、大学入学後に、森先生の授業を2コマ受講した。いずれも教室いっぱいに受講生があふれており、通路にしゃがんだり、窓際に立ちっぱなしで授業を受けたものであった。そのうち1つは変分法の講義であり、内容は殆ど理解できなかったが、変分法とは何かということだけは分かったような気がした。その程度の理解であったが、ちゃんと「優」の単位を頂戴している。

 授業はもっぱら雑談が多く、興味あるお話をいろいろ伺った。いちど研究室まで、「大学はなぜ3年間で卒業できないのか」ということを質問に行ったことがある。なぜ森先生に尋ねたのかは不明であるが、おそらく、当時は教務関係の委員長をされていたため、「森先生のところに訊きに行ってこい」と言われたためではなかったかと思う。

 その後、数学への関心がうすれ(←というか、数学の才能が無いということを完全に悟ったため)、数学の本は殆ど読まなくなった。森先生の御退官後のご活躍についても全く存じ上げておらず、私にとっては、あくまで、数学の先生というイメージだけが残った。