じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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大会2日目は最後のセッションが17時半すぎまでかかったので、茨城大学近くの中華料理店で「水戸藩ラーメン」を注文した。ウィキペディアの当該項目から由来と特徴を抜粋すると以下のようになる。
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【思ったこと】 _a1128(日)日本質的心理学会第7回大会(2)「文化」と「発達」と質的心理学(2) 昨日の日記の続きとして、今回はこのシンポで取り上げられた、「発達」に関するメモと感想を記す。
以上、印象に残ったフレーズをおおざっぱにメモさせていただいた。 私自身の考えとしては、環境条件や経験による変化を短期的に捉えるのであれば「発達」という概念は不要。その場合は、「学習」とか「適応」といったテーマで研究を展開すればよいだろう。また、子どもの行動の特徴や変化に焦点を絞るなら「児童心理学」、青年の問題は「青年心理学」、高齢者の問題に焦点を絞るならば「老年心理学」というように、おおざっぱな年代区分で個別に研究を進めればよい。いっぽう、「発達」という概念を用いるのであれば、いま生きている状態が過去の出来事とどのように連関しているのか、個人は過去をどのように描いているのかといった問題を、数十年の単位で捉えることが必要であるように思う。 もっとも、「発達development」という言葉は「開発」という意味にも用いられるようにどこかポジティブで右上がりの成長を前提としているようにも思える。実際のところは単なる「変遷(changeあるいはtransition)」であるかもしれないと思うところはある。また、人間や多くの動物は連続的に変化しているため、時間の流れの中で同一のものが一貫性を保ちながら存続しているというように受け止められがちである。しかし、今の自分が20年前と同一であるという保証はどこにもない。同一であると見なすのは、そのように扱ったほうが社会にとって都合がいいからである。無人島で一人で暮らしている個人であれば、毎日衣装を取り替えるように多元的に振る舞ってもよいし、ある日突然別人に生まれ変わったところで何ら不都合はない。「アイデンティティ」を前提とするのか、社会的に構成されたものですでに耐用年数切れの概念とみなすのかによっても扱い方は変わってくるであろう。 次回に続く。 |