じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§ 2010年版・岡山大学構内の紅葉(27)「落ちないイチョウ」の周辺

 昨日の日記でも取り上げた「落ちないイチョウ」。この樹の周りのイチョウはどの方向を見てもすでに葉を落としている。(北西角のフェンスの中にあって立ち入りができないため、南東方向に撮影することはできない。なお、農学部東西通りの道路南側のイチョウの一部はまだ多少は葉をつけていた。)

 今回掲載している「元祖・落ちないイチョウ」のほか、昨年の日記では「二代目・落ちないイチョウ」の写真を載せていたが、今年はなぜか、「二代目」のほうは葉を落としてしまって他のイチョウと見分けがつかなくなってしまった。

12月6日(月)

【思ったこと】
_a1206(月)日本質的心理学会第7回大会(10)「文化」と「発達」と質的心理学(5)中高年男性の失業に関する研究(3)

 昨日の日記では、中高年男性にとっての失業は、生活や人生を根底から揺るがす大問題であり、そこから抑鬱状態に陥るというような可能性があると述べた。しかし、それで終わってしまったのでは、あまりにも暗い。実際には、そのようなプロセスを経て、会社との関係性が問い直され、「会社と距離を置き、コントロール感を保つ」こと、また、人は働くべきであるという価値観への気づき、社会に対する信頼への気づきが、「再就職による信頼の再獲得」という形で、その人にとっての意味のある「発達」につながるというように結ばれていた(←長谷川の聞き取りと記憶によるため不確か)。

 というように、失業は人生を根底から揺るがす大問題ではあるが、会社依存的な人生設計のなかで職業的アイデンティティの確立が曖昧であった世代にとっては、失業を体験することで職業人としてのアイデンティティが再確立、このことが結果的にに「発達」を促す可能性があることが指摘された。




 さて、面接で苦労話を聞き取り、体験談として紹介するというだけであれば、NHKの「ドラクロワ」のほうが伝えやすいという気もしないでもない。ではなぜわざわざ質的研究を行う必要があるのかということになるが、単に「失業は大変な経験であった」とせずに、職業観に基づいた就労や人生設計を聞き取り、その人にとって何が発達なのかを理解できるというのが、話題提供者にとっての「質的研究の意義」であると理解した。また、こうした研究の一般化可能性・普遍性であるが、そのためには量的研究も並行的に行う必要があるほか、焦点をずらすということ、例えば中年期から老年期にずらしてみたり、日本国内から海外に目を向けるというような形で発展できる可能性のあることが強調された。但し、今回のような問題を臨床的に論じる場合には、必ずしも一般化をはかる必要はないとも言及された。(←ある個人特有の問題を解決するにあたって、その問題性や解決ほ筋道は必ずしも一般化を前提としないという意味であろう)。

 このほか、話題提供の一番最後のところでは「方法論としての質的研究自体も一種の文化であり、発達していくのではないだろうか・・・」というようなご指摘があったが、こればっかりは禅問答みたいで、私自身には理解困難であった。


次回に続く。