じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§  エチオピア旅行の際に訪れたアディスアベバ大学内にある民族博物館。エチオピア帝国最後の皇帝ハイレ・セラシエの宮殿跡となっており、皇帝や妃の寝室、浴室・トイレまで見学することができた(館内撮影禁止)。ウィキペディアによれば、1974年9月2日早朝、皇帝はアディスアベバの宮殿内で陸軍のクーデターにより逮捕・廃位され、拘禁中の1975年に死去、もしくは廃位直後に射殺されたと伝えられている。皇帝は背が低く、ベッドの縦の長さは短くなっていた。見学時の記憶なので不確かであるが、写真下段の2階の窓のあたりが妃の居室、その右隣が皇帝の居室ではなかったかと思う。


1月23日(日)



【小さな話題】

値上がり続く石油製品

 今年の例年になく寒い。我が家の暖房の主力は石油ファンヒーターであるが、最近、灯油の価格がますます値上がりしている。行きつけのガソリンスタンドはもともと割高であり1460円(18リットルあたり)。そのこともあって、ガソリンスタンドではなく、最寄りのホームセンターで購入しているが、先月1350円であったものが、今月は1404円に値上がりしていた。週間予報によれば1月29日以降は再び寒波が到来し、一段と厳しい寒さになるという。なお、ガソリン価格のほうは、おおむね132円から136円。こちらも、昨年の120円台からかなり値上がりしている。

【思ったこと】
_b0123(日)行動主義の再構成(1)

 1月の日記の中で何度か「新年の抱負」を語ったが、もう少し中期的に、定年までの間に、行動随伴性概念の再構成とそれに基づく、新たな行動分析学の構築を目ざすという大胆不敵な構想を目論んでいる。もっとも、心理学研究者の中には、定年直前になってから誇大な妄想にとりつかれて、支離滅裂でおかしなことを主張する人が少なからずおられる。そうならないように自戒しつつ、定年前の一仕事として体系化していきたいと思っている。もしそれが完成した場合には、「行動構成主義」あるいは「徹底的行動主義的構成主義」というような宣言をすることになるが、単なる問題提起に終わってしまうかもしれない。

 その基本的な視点は以下のような内容となっている。
  1. 行動随伴性の基本は「直前→オペラント行動→直後変化」にあるが、これは行動の真の原因ではない。オペラント行動を制御・改善しようとする際のツールとして有用であるからその見方を採用しているにすぎない。実際のオペラント行動は、環境との双方向の作用の中で螺旋状に展開しており、単線的断片的な「行動→結果」だけで説明できるものではない。
  2. オペラント行動の強化はしばしば、入れ子構造を持っている。どういう入れ子が形成されるのかは一律ではない。系統発生的要因により規定されるものもあるが、人間の場合は、社会的に構成されたものであることが多い。
  3. 社会構成主義や質的心理学でありがちな「ことばでっかち」は排除されなければならない。というか、それらの領域で重視されている「ことば」は、「双方向の行動随伴性(相互強化、相互弱化など)」に置き換えることが可能である。
  4. 英語圏で多用されている無生物主語的表現は、客観性の誤用をもたらす。例えば、「条件刺激は条件反応を誘発する」とか「この刺激が弁別機能を獲得する」などと言われることがあるが、刺激自体は何も獲得しないし、何も誘発する力はもっていない。反応はあくまで生活体の側で発せられるものである。とはいえ、安易な認知的解釈に陥るのは誤り。

 余談だが、最新の日本質的心理学会の研究会情報の中の、

●感覚の「異文化」から見る〈からだ〉と〈ことば〉〜共感覚、自閉症、幼児の体験世界〜

の企画趣旨の中に
人間は〈ことば〉の世界を生きている―これが現在の質的心理学の「常識」であり、多くの分析手法もこの前提に基づいている。しかし、元来、人間の〈ことば〉は〈からだ〉の働きに基礎を持つものとして発展してきたものである。また、どんなに〈ことば〉の世界が発展したとしても、人は最終的にはこの〈からだ〉でもって生きるほかない。そうした事実を忘れ、〈ことば〉の世界にのみ研究者の目が向くとすれば、それは人間の生に迫ろうとする質的心理学にとって大きな危機ではなかろうか。
というくだりがあったことは、これまで「質的心理学=ことばでっかち」ではないかと指摘してきた私にとっては大きな驚きであった。ただし〈からだ〉という部分は〈行動〉に置き換えてもいいのではないかという気もする。

不定期で次回に続く。