じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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朝日を浴びる新緑のイチョウ並木とネギ畑

少し前から早朝の散歩時のコースの一部を農学部農場の南側に変更した。ここからな農場と半田山を見渡すことができる。朝日を浴びるイチョウ並木とネギ畑のグリーンが美しい。


4月18日(月)

【思ったこと】
_b0418(月)「菜の花や 月は東に...」は何月何日か?

 4月18日は満月(正確には午前11時44分)であった。楽天版(4月18日付)にも掲載しているように、夕食後の散歩時に、丸い月と春の花のコラボレーションをテーマに写真を撮っており、できれば、

菜の花や月は東に日は西に 蕪村

にあるような、菜の花を前景にした満月の写真を撮りたいと思っていたが、あいにく、東の空に雲があってチャンスに恵まれなかった。

 ところでこの蕪村の作品であるが、現実の光景を詠んだと仮定した場合、何月何日頃に作られた句ということになるのだろうか。

 まず、私の乏しい天文学の知識を動員してみるに、太陽が西に沈む直前で月が東にのぼる頃というのは月齢10〜13の頃ではないかと思われる(←満月がのぼる頃にはすでに太陽は沈んでいる可能性が高い)。ネットで調べたところ、この作品は1776年に発行された『続明烏』に掲載されており、それより2年前の1774年に作られたことがはっきりしているようだ。そこで、こちらのサイトで1774年の3月と4月の月齢を計算してみると、
  • 1774年3月23日:月齢10.7
  • 1774年3月24日:月齢11.7
  • 1774年3月25日:月齢12.7
  • 1774年4月21日:月齢10.1
  • 1774年4月22日:月齢11.1
  • 1774年4月23日:月齢12.1
というように出力された。なお月齢はすべてそれぞれの日の正午。また上記の日付は太陽暦である。ネットで検索したところ、Yahoo知恵袋
...3月23日の作であるという記述がインターネット上に数件見受けられます。
出典はわかりませんが、中村草田男さんの蕪村集という本にその記述があり、几菫の宿の日記によれば・・・と書かれているそうです。
安永3年の3月23日はいまの5月3日ころの季節感にあたり、ちょっと菜の花にはおそいですね。
という回答が寄せられていた。上記の計算結果からみると、太陽暦の1774年3月23日に作った句であればまことにピッタリであるが、江戸時代に書かれた日記の日付が太陽暦であるはずが無い。先ほどのサイトで計算したところ、1774年5月3日の月齢は22.1の下弦の月となっているので(←というか、月齢はほぼ「旧暦の日付マイナス1」なので、計算しなくても月齢22前後であると分かる)、現実場面で「月は東に日は西に」という光景を見ることはできない。となると蕪村の句は想像で作られた句ということになりそうだ。

 なお、春分の日から夏至の頃まで、東にのぼる満月の方位はしだいに南東方向に移動していく。4月であれば、真東から月がのぼるのは満月より数日前であり、今年は4月15日(月齢は11.9)となる。満月の日時は年によって変動するが、満月の出る方向が北に偏るということはありえない(歳差を考慮しなければ別だが...)。とにかく、菜の花がいっぱい咲いている夕刻、月齢12前後の月はほぼ真東からのぼると言ってよさそうだ。