じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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2011年版・岡山大学構内のキノコ(5)

 昨日の日記にも述べたように、猛暑日や熱帯夜が続いていた岡山は、7月に入ってから一転、梅雨らしい天気に戻った。これに併せて、キノコのほうも、夏のキノコが見られるようになってきた。


7月2日(土)

【思ったこと】
_b0702(土)2011年版・高齢者の心と行動(31) 困難な状況をすべて先延ばしし、何もしないでゴロゴロするだけの退屈な生活を避ける方法(12)まとめ(1)

 7月1日の日記の続き。

 これまで取り上げてきた内容は、もともと、スキナーの生きがい論に関連して、
「好子出現による強化」だけの世界というのは、要するに、「やりたい時にやりたいことだけをすればよい」ということであるが、そのような状況では人はしばしば、困難な状況をすべて先延ばしし、何もしないでゴロゴロするだけの退屈な生活になってしまう。人は困難を克服することによってこそ強くなれるのであって、「好子出現による強化」という「甘やかし」だけでは、向上をはかることができない。
という批判(7月1日の日記参照)についての考察であった。

 私自身の現時点での結論としては、以下のようなものである。

 まず、そもそも日常生活における諸行動というのは、入れ子構造を持っており、さらには、過去の行動の積み重ねがもたらす累積的結果や、将来の大目標への接近評価という形で付加的に強化されている。よって、個々の行動を個別に取り上げて、それが好子出現の随伴性で強化されているのか、それとも、好子消失阻止や嫌子出現阻止の随伴性といった「義務的」随伴性で強化されているのかということを二者択一で論じることはあまり意味がない。

 その行動が大枠で好子出現であっても、あるいは阻止の随伴性であったとしても、その部品を構成する個々の行動は別の随伴性で強化されている場合がある。また、阻止の随伴性は原則として、制御変数的定義ではなくて手続的定義として設定されているものであった、実際に働いている直接効果的随伴性は全く別物である可能性もがる。これは、過去の行動の積み重ねがもたらす累積的結果や、将来の大目標への接近評価という形の付加的強化についても言えることである。これらは決して直接効果的に行動を強化するものではない。過去の累積的結果が付加的好子となるためには、累積的成果を目に見える形で「好子化」する必要があるし、大目標への接近についても、達成度合いを点検する行動が別途強化されなければならない。

 例えば、一年後の大学入試を目指して受験勉強をする場合、その行動は、

●しっかりと勉強すれば志望大学に合格できる(好子)

という大目標(=ルール支配行動)によって支えられている。

 しかし、これだけでは直前にならないとなかなか参考書に向かわない恐れがある。この場合、行動を確実に遂行させてくれるのは、

●きょう、参考書の10頁分をマスターしておかないと、志望大学には入れない。

という好子消失阻止の随伴性である(←計画通りに勉強すればいずれ、志望大学合格という好子が出現するが、勉強を怠るとそれが不合格という形で消失する)。但し、阻止の随伴性を実効化するためには、先輩から志望大学に入れなかった場合の浪人生活の辛さを語ってもらい、浪人生活という嫌子の大きさを高める確立操作を行い、勉強を怠ると浪人生活という嫌子が出現することを阻止するために頑張るという、嫌子出現阻止の随伴性を付加する必要もある。そのほか、セルフマネジメントの技法として、毎日の受験勉強の遂行目標を公表し、実行できなかった時にはみずから「好子消失」を課すという方策をとることも有効である。

 いっぽう、日々の受験勉強を重ねれば、すでにマスターできた参考書頁数が蓄積される。これを棒グラフなどで図示すれば、棒の高さが伸びることは累積的な結果の付与となりうるし、大目標への接近の度合いを点検する行動にもなりうる。過度な受験競争は人間性をダメにするなどと言われるが、適度は範囲であればライバルと競争することは、付加的な強化の随伴性をもたらし、張り合いになるだろう。受験勉強に関連するといろいろ異論が出てくるかもしれないが、スポーツ選手の競争に例を移せば、ライバルの存在は大きな励みになることは言うまでもない。


次回に続く。