じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 7月9日に乗降したJR御茶ノ水駅の風景。この駅は小学校低学年の頃から何度も利用している。周囲の建物は大きく様変わりしたが、写真にある聖橋(上)とお茶の水橋(下)は50年前から全く変わっていない。ウィキペディアの当該項目にも記されているが、この駅は、構造上・立地上の困難を抱えており、バリアフリー対策や線路への転落防止策はいっこうに進んでいない。当該項目には、
JR発足直後に、老朽化した駅舎を建て替えるために、新駅舎のデザインを募集するなどの大規模なプロジェクトが行われた際、ニコライ堂を模したデザインが選ばれた。しかし、ホームが擁壁と神田川に挟まれていること、駅舎がホームより高い位置にありかなり狭隘な場所にあることなど、不利な条件がいくつもあるためか、その後計画は立ち消えとなってしまった。

このような構造上・立地上の問題からバリアフリー対応が十分に行われず、車椅子用のリフトはあるが、エレベーターやエスカレーターは設置されていない。周辺に大学病院などの大規模な病院が数多くあり、外来で通院する高齢者などから苦情が寄せられているため、2002年に周辺の8病院が連名でJR東日本にバリアフリー対応の要請を行い、また、2006年12月下旬からエレベーターとエスカレーターの設置を求める署名運動が行われたが、技術的に困難として一向に進展しなかった。

2010年3月26日、当駅で2010年度末からバリアフリー整備を行うことがJR東日本より発表された。その内容は、線路上空に人工地盤を設置し、改札内に自由通路を新設し、御茶ノ水橋口駅舎および聖橋口の駅前広場機能の整備を行う。また、聖橋口駅舎を移設してエレベーターやエスカレーターなどを設置することによりバリアフリー整備を行う。

今回の計画は、同駅が狭隘な位置に立地していることから非常に難易度の高い大規模な工事になり、それに伴い列車の運行を変更する可能性もあるという。2010年度内に概略設計や関係者との調整を行い、同年度末の工事着手を目指して検討が進められる。
とあったが、2010年度末に工事が着手されているとの形跡は見当たらなかった。もっとも、そういう工事が行われれば、50年以上変わらなかったこのあたりの風景は一変することになるだろう。


7月10日(日)

【思ったこと】
_b0710(日)2011年版・高齢者の心と行動(37) 人付き合いを好まないタイプの生き方(4)人付き合いを好まない人の言い分(2)

7月8日の日記でも述べたように、【人付き合いを好まない人にとっての】人付き合いを好まない理由の1つは、「不安定で刹那的で、累積的な成果をもたらさず、かつ将来に向けて展望を見いだすことができない。」といったあたりにあるのではないかと思う。もっとも、それだけの理由であれば、数ヶ月で枯れてしまう草花を育てる園芸活動も、毎日パチンコに通う毎日も、それほど大きな差は見当たらない。それよりももっと大きな理由は、人付き合いというのが、好子出現随伴性だけでなくて、さまざまな阻止の随伴性や、嫌子出現の随伴性を含んでいるためではないかと思う。

 要するに、草花を育てる場合は、あくまで自分が主体であって、自分の関わりかた次第で植物の育ち方は大きく変わる。もちろん、管理を怠れば枯れてしまうといった好子消失阻止の随伴性が関わることもあるが、水やりが大変というならサボテン・多肉植物類を育ててもよいし。乾燥に強い多年草中心の花壇の世話をしてもよい。

 いっぽう、人付き合いの場合は、とにもかくにも相手との良好な人間関係を保つことが前提であり、そのためには、相手の好みに合わせたり、嫌なことがあっても我慢したりするといった、一定のソーシャルスキルを確立することが必要である。それが自然に身についている人は何ら苦にならないだろうが、反面、そういう面倒で煩わしいことはできるだけ避けたいと思う人が居ても不思議では無い。

 集団で行動する場合、例えば、昼食を一緒に食べる時とか、みんなで一緒に旅行をする時でも、じぶんの希望は抑えて、ある程度みんなの好みに合わせなければならないという事情が出てくる。そう言えば、上記の園芸活動なども、集団で花壇を管理する場合にはいろいろな制約がつきまとう。植えたい花、取り合わせや配置などにも好みが反映する。自然観察会も同様で、いろいろと説明を聞けるのは大いに参考になるが、興味を持った植物に個人的に関わることはできないし、道順もすべて指定されてしまう。

 集団内で一定の役割を果たすことは自己効力感を高めるように見える。しかし、それが、阻止の随伴性、つまりその集団に必要な活動に従事しないと集団全体に迷惑がかかるという好子消失阻止や嫌子出現阻止の随伴性で義務的に行動し、あげくの果てには、巨大組織の一部を構成する交換可能な部品のようになってしまって、自分が一体何なのか分からなくなることにもなる。

 このほか世間には、他者との交流よりもペットとの付き合いを大事にする人もいる。ペットの場合は、植物に比べると扱いが複雑であり、かつ、死なれてしまったときのショックは大きい。それでもなお、人付き合いに比べると、それほど面倒な「ソーシャル」スキルは必要とはしない。それぞれの動物に合った躾け方を守れば大概はうまくやっていける。

 次回に続く。