じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



12月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§
 工学部の建物の1つに「岡山大学」という大きな文字盤がある。夜間にライトアップされるが、写真上のように朝日が反射して光ることもある。また、周辺の広葉樹が葉を落としたため、夏期には木に遮られて見えなかった場所からもライトアップが見えるようになってきた(写真下)。

12月26日(月)

【思ったこと】
_b1226(月)日本質的心理学会第8回大会(31)実践としての身体(4)活動や行為が身体を構築/関係情動/脱身体化

 河野氏に続いて重村朋子氏の話題提供があったが、丸一ヶ月が過ぎ、メモもちゃんと取っていなかったため、どういうお話であったか思い出すことができない。

 3番目の上淵寿氏の話題提供のほうは、かなり難解であったが、興味深いご指摘がいくつか私のメモに残っていたので備忘録代わりに再掲しておく。
  1. 行為、活動、実践として身体が立ち現れ、環境と相互作用することを強調する一方、身体の重要性の提唱にあえて論駁し、ともするとみられる身体の「基礎づけ主義」を批判。←うーむ、難解やなあ。ひょっとして、私自身の考えと同じ?
  2. 活動や行為があって身体が立ち現れてくる。むしろ、活動や行為が身体を構築しているといってもいいかもしれない。←進化論的に言えば、適応的な行動ができる身体を持った動物は生き残りやすい。適応的な行動を行いやすい身体を持った動物と、行いにくい身体を持った動物が居れば、前者の種のほうが繁栄し子孫を残しやすくなる。結果として、行動と身体は一体となって進化していくとは言えるだろう。
  3. 装飾、化粧、衣服は、静止した身体を語っているように見えるが、いずれも、身体自身への行為や実践の結果として立ち現れる。装飾や着服は社会文化的環境の実践経験を通じて学習されていく。←社会文化的環境の中で、強化・弱化されていくということではないか。
  4. ため息の事例から分かるように、活動や実践は身体で行われ、これを通じて心が浮き彫りにされる。
  5. Reddy(2005, 2009)の情動発生に関わる主張:関係情動→「関係情動」については勉強不足でよく分からない。ネットで検索したところ三項関係情動という興味深いテーマもあることが分かったが、今回の話題提供とは直接関係なさそう。
  6. 身体を重視しすぎて、厳密に考えよう、根本を追求しようとするとかえって窮屈な思考に閉じ込められてしまう。思考の経済性や倹約性を考えるとむしろ「無駄」かもしれない。身体を考慮するかしないかについては、状況に応じて、説明が簡単なほう、わかりやすいほうを採用すればよい。
  7. 上記6.は「脱身体化」であるが、危ういところもある。


次回に続く。