じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 満月とヴィーナスと「衝撃を受ける画像」。楽天版の1月8日1月9日に写真を掲載したように、この季節の満月は赤緯が北に片寄っているため、長い時間空に輝いている。写真は、1月10日の早朝の散歩時に撮影した月とヴィーナス像(一般教育棟構内)。満月が明るすぎて輪郭がぼやけるのを避けるためフラッシュを使用した。同じフラッシュ撮影でも「通常発光+スローシャッター」(スローシンクロ)モードにすると、手ぶれのため、満月や周辺の街灯が稲妻のように写り、写真下のような稲妻で衝撃を受けた画像になってしまう。

1月10日(火)

【思ったこと】
_c0110(火)上野千鶴子特別招聘教授着任記念学術講演・シンポジウム(4)ケアの人権的アプローチ

 昨日の続き。

 講演では続いて、ケアの人権アプローチについて語られた。上野氏によれば、ケアは、「ケアの受け手」vs「ケアの与え手」という軸と、ケアの自己決定性に関して「積極的」vs「受動的」という軸の直交による4象限からなる。また、ケアは相互行為であるがゆえに、「ケアの権利」といっても、
  1. ケアをする権利
  2. ケアをすることを強制されない権利
  3. ケアを受ける権利
  4. (不適切な)ケアを受けることを強制されない権利
という4通りがある。しかし日本では、1.と4.はしばしば無視される。また、2.が守られないことは強制労働につながる。

 上掲の4つの権利は、日本ではまだまだ理解されていないところがあるが、私自身が10年以上関わっているダイバージョナルセラピーの活動(最近の話題は、こちらこちらにあり)、あるいはオーストラリアでは、当然のこととして捉えられているようにも思った。特に4.については、芹澤・日本ダイバージョナルセラピー協会理事長が事あるごとに強調しておられる。

 なお、講演時間が限られていた関係で人権アプローチについての詳しい説明は無かったが、御著書の58〜59頁のあたりにその理由や位置づけが記されていた。
  1. ケアの社会学は、ケアという行為の文脈化を図るものである。
  2. 哲学や倫理学など規範科学のアプローチとは違い、ケアがそれ自体として「よきもの」であると見なす代わりに、どのような文脈のもとであればケアは「よきもの」や「のぞましい人間関係」となり、どのような文脈のもとであれば「抑圧」や「強制」となるのか、を腑分けするためのものである。
  3. わたし【上野】は、「人権」の歴史超越的アプローチを採用しない。「ケアの権利」とは、特定の歴史的文脈のもとで登場したものであり、また特定の社会的文脈のもとではじめて権利として成り立つ性格のものである。
  4. ケアの人権アプローチとは、規範的アプローチではあるが歴史性を持っている。ケアの権利の歴史性を強調することは、普遍的な規範を前提にしなくてもよいことを意味するだけでなく、
    • 第一に、ケアを脱自然化する効果を持つ。つまり、ケアが「自然な関係」でも「母性的本能」でもなく、社会的権利として立てられるべき構築物であることを明らかにする。
    • 第二に、それは一定の社会的条件を明示することで、ケアの社会的再配置についてのビジョンを提示する働きをする。
 このうち、ケアの「脱自然化」という考え方にはかなりの抵抗があるように思う。2011年を代表する漢字にもなった「絆」、あるいは、最終段階の緩和ケアが、社会的権利の構築物だけで成り立つかどうかについては特に異論が出てくるのではないかと思う。とはいえ、美しい言葉として「絆」を叫んだり、よいことだからやりましょうという自発性だけに委ねられてケアが成り立つとも思えない。社会的な制度として考えるためには、こういう見方も必要ではないかという気もした。

次回に続く。