じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§  2月14日夜から15日早朝にかけて、岡大七不思議の1つ「半田山火映現象」が出現した。ホンモノの火映現象とは「活動中の火山の火口上空の雲や噴煙が、火口の赤熱溶岩に映えて明るく赤く見える現象。」のことであるが、半田山はもちろん火山ではない。雨雲が低く立ちこめ、霧雨が降っているような条件のもとで、半田山の向こうにある津高地区の大型店のネオンが反射しているものと思われるが、どの店なのかは不明。早朝にも見られるので、岡山空港の照明ではなさそう。

 なお、ホンモノの火映現象の写真はこちらにあり。

2月16日(木)

【思ったこと】
_c0216(木)QOL評価・向上のための複合的多項随伴性アプローチ(15)中期的分析(2)日常生活行動を儀式化せよ(1)

 昨日の続き。

 中期的分析の連載ではまず、日常生活行動を儀式化せよという話題から始めたいと思う。

 仕事、年齢、生活環境などにより多種多様ではあるが、我々の日常生活の大半は、朝起きてから夜寝るまで、毎日同じことの繰り返しである。それはしばしば、茶飯事とか雑用とか呼ばれて、生きがいの妨げになるようにも思われがちである。

 しかし、病気や災害や離別などによってひとたび非日常に遭遇すると、日常のありふれた諸行動がいかに有り難いものであるかに気づく。生きがいや充実した生活を維持するためには、毎日同じ時間に同じことをきっちりと行うこと、そしてそれを茶飯事とか雑用などと軽んじることなく、生きがいの基本として高い価値を与え、儀式化していくことが望ましいように思う。

 そういえば「雑用」は英語では「chore」と言うそうだが、私はむしろ、「h」を抜いて「core」としたほうが正しい意味に近いように思っている。日常生活の基本行動は禅宗でも大切にされているらしい。テレビで永平寺を紹介した番組を視ただけの情報であるが、禅宗では坐禅と並んで、炊事や掃除、食事、就寝などの修行である作務が重視されているという。修行と見るか儀式と見るかはいろいろ考え方があるだろうが、とにかく、日常はQOLの基本中の基本である。時たま出かける旅行などの「非日常」も、安定した日常が保たれていればこそ楽しむことができる。

 ではどうすれば「行動の儀式化」が可能となるのか。これには、行動分析学で言う「自動化」が大いに役に立つ。行動の結果が自動的に伴い、その結果が次の行動の弁別刺激や確立操作になるように連鎖化しておけば、「今日はやりたくないなあ」とサボったり、モタモタしているうちに半日過ぎてしまうということは起こりにくくなる。私自身は、儀式化に成功しているほうであり、朝5時頃、まず布団の上で腹筋運動を20回、その後布団乾燥機をセットしたり、室内の鉢花に水をやったり、防寒の準備をして早朝の散歩に出かけるというように、一連の行動はすべて決まった順序で儀式的に行っている。そのこともあるので、今日は散歩はイヤだなあ、などと思うことは一度も無い。夜、布団に入るまでの行動も同様である。このWeb日記の執筆もそういう行動の中に組み込まれている。

 次回に続く。