じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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耐震改修工事一期分のほうも順調に進み、3月17日(土)は、駐車場から文学部西側周辺の様子をうかがうことができた。西側にあった樹木・多年草は、ごく一部のエリアを除いて元のまま残っていた。 |
【思ったこと】 _c0317(土)日本環境心理学会第5回大会「場所愛着・再考」(6)指定討論(2) 昨日の続きで、この連載の最終回 2番目の指定討論では続いて、「場所」の主な特性として、位置、景観(視覚のほか、五感を通じた特徴、時間、記憶、関係性(役割や機能、意味、求めるもの)などなどがあることが指摘された。 このうち時間については、「水平に流れる時間」と「垂直に積み重なる時間」の2種類があり、後者は想起と結びつくという(野家, 1996)。こうした特徴は、今回の震災の被災地についての受け止め方にも違いをもたらす。すなわち、被災者にとって被災地は、地震前から連綿と生き、良くも悪くもそこに縛られている「生活」の場であったのに対して、第三者にとって、被災地は「事件」の場としてとらえてしまいがちであるという(湯浅, 2011)。また同じ被災地であっても、津波で押し流された地域では、住む場所が完全に失われてしまっているが、原発事故の放射能汚染で避難を余儀なくされた人びとの場合は、愛着ある生活場所が物理的に存在するにも関わらず足を踏み入れられないという現実にあるというように指摘された。 そう言えば、3月17日(土)の朝、NHKで 新日本紀行ふたたび「安波祭に込めた願い〜福島・浪江町〜」 という番組を放送していた。原発事故で、田んぼを奪われ(除染をしても田んぼの粘土層まで撤去してしまったら土地がやせてしまって稲作はできない)家族バラバラの生活を余儀なくされた方や、漁業ができなくなり資源ゴミの回収で生計を立てている方などの話題が取り上げられていたが、いずれの方も、とりあえずの衣食住は満たされているものの、生活の場を奪われたことの喪失感は、第三者の我々には想像もできないほど大きなものではないかと拝察された。今後の復興、そして、同じ不幸を二度と繰り返さないためにこれから何ができるのかについて、国民として、また人類として、しっかりと考えていくべきであろう。 指定討論のあと、フロアからの発言を交えて活発な討論が行われた。その中では、
個人的な考えとして、「場所」には相当程度普遍的なものと、卒業や定年退職などの自己都合により、特定場所からの撤退を余儀なくされる場合がある。また、ある程度の変化があればこそ愛着が生まれるものであるという気もする。 ということで、わずか2時間であったが、中味の濃い話題提供内容であり、また事前の準備の行き届いた指定討論などもあって、大変意義深いワークショップであった。ここで得られたこと、考えたことを、私自身が関わっている行動分析学的QOLの構築問題にもぜひ生かしていきたいと思う。 |