じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2012年版・岡山大学構内でお花見(17)八重桜と御衣黄(もしくは鬱金桜)
時計台前の八重桜(写真上)と御衣黄(ギョイコウ、写真下、鬱金桜の可能性あり)が見頃を迎えている。御衣黄のほうはこのあと中心部から赤みが増してくる。なお、このWeb日記では、長年、写真下の花を「鬱金桜」としてきたが、種々の特徴から御衣黄の可能性もあることが分かってきた。御衣黄の場合は、花びらの濃緑色の部分の裏側には、ウコンの花にはない気孔も存在するというが、顕微鏡でもないと確認は難しい。 ※岡山大学構内の花だよりのアルバム(追記更新型)をLife-Xに公開中です。随時追加していきますので、時たま覗いていただければ光栄です。 |
【思ったこと】 _c0422(日)高齢者が働く理由 TV東京系で4月19日に放送され、録画してあった カンブリア宮殿「高齢者に働く場と生き甲斐を! を視た。 話題の中心は、高齢者専門の人材派遣会社「高齢社」の創業者で会長の上田研二さんの活動ぶりであったが、この会社に登録している高齢者の方々がなぜ働こうとしているのか、その一端を知ることもできた。 もちろん中には、受け取る年金が十分でなく、必要最低限の生活をするために働き続ける人たちもいるとは思う。しかしそのいっぽう、その気になれば悠々自適、趣味三昧の生活を送ることができるのに、あえて外に出て働き続けようとする人たちもおられるようだ。 その大きな理由は、「働く」ということで、まだまだ社会の一員になっていると実感することである。上田さんが高齢者を産業廃棄物に喩えて、その“産業廃棄物再生支援機構”として高齢社を創業しているように、働かない高齢者はどこへ行っても邪魔者扱いにされてしまう。特に、退職前は夜しか家に居なかったダンナが一日中家でゴロゴロするようになることは、奥さんにとってはまことに邪魔であり、家庭内トラブルのもとにもなるらしい。趣味に熱中してもそこで得られる結果は自分自身の自己満足に過ぎず、自分の死によってすべて失われる儚いものにすぎない。いっぽう、社会に貢献するような仕事をしていれば、そこで得られる「公共的な結果」は、自分が死んでも失われることが無い。 もっとも、こういう話題がテレビで取り上げられるというのは、高齢者が働くことにまだまだ意外性があるためだろう。多くの人が、若い時に老後の資金を蓄えておいて、老後はゆったりと、何事にも制約されずにのんびり過ごしたいと思っているからこそ、番組で取り上げられたような内容が注目されるのであろう。 ちなみに、「老後の蓄え」と言えば聞こえがよいが、お金とはどういうものかという仕組みを考えるなら、それは要するに、若い時に働いたお金で何かを占有し、次の世代の若者にその占有物を使わせるのと引き替えに、何らかのサービスを提供してもらうということにすぎない。例えば、若い時の働きにより、街道に勝手に関所を作り、そこを通ろうとする若者に、通行許可と引き替えに何かの労働をさせるというようなものである。そういう形の老後であっても、「社会の一員」であることには変わりは無いのだが、世間一般からはあまりよい評判は与えられない。お金持ちだからという理由で近づく人たちは多いだろうが、お金を払えなくなった時点でたちまち無視され、邪魔者扱いにされてしまう。これに対して、上記のような社会参加では、仕事中の交流場面そのものが存在感を与えてくれる。 |