じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2012年版・岡山大学構内でお花見(25)ニワゼキショウ2色
本部棟周辺で見かけたニワゼキショウ。色は2種類あり、写真にあるように別々に群生している場合もあれば、入り交じって咲いている場合もある。このほかこちらにあるように、花の中心部分が赤紫になっていない第3のタイプがあるが、オオニワゼキショウ、あるいは雑種の可能性が高い。 ※岡山大学構内の花だよりのアルバム(追記更新型)をLife-Xに公開中です。随時追加していきますので、時たま覗いていただければ光栄です。 |
【思ったこと】 _c0509(水)「めんどくさい」とは(1) 昨日の日記で「多忙と無為のあいだ」という話題を取り上げた。歳をとると、限られた時間内にできることが減少してくるので、以前はあっさりと片付けていた作業が「多忙」状態となってしまう。それに伴って、「面倒だなあ」と感じることがますます増えていく。定年退職後に期待できるのは「面倒なこと」を引き受けなくても済むという一点にあるといっても良いかもしれない。しかし、「面倒だ」、「めんどくさい」、...というのはどういう状態のことを言うのだろうか? 『新明解』で「面倒」調べてみると、
ここで「めんどくさい」の反対語を考えてみよう。こういう疑問を持つ人は他にもおられるようで、Yahoo!知恵袋にもいくつか関連質問が出ていた。そして、ベストアンサーに選ばれていたのは「簡単だ」、「容易だ」、「やさしい」、「たやすい」、「わかりやすい」などであった。 もっとも、めんどくさいと感じている作業を、反対語で形容できるように修正を加えれば面倒でなくなるかというと、そういうわけでもなさそうだ。例えば、数学の宿題が面倒だと思っている高校生に、小学校低学年向けの計算ドリルをやらせれば面倒でなくなるかというと、決してそうはならないだろう。数学の好き嫌いにもよるが、少々難しい幾何の問題を解くことよりも、2桁どうしの足し算問題のような単純作業を続けることのほうが遙かに面倒ではないだろうか。であるからして、作業内容が「簡単だ」、「容易だ」、「やさしい」、「たやすい」、「わかりやすい」というだけでは、「面倒だ」は解消しない。 次に、なぜ「めんどくさいと」感じるのかについても、ネットで検索してみる。これもいろいろな議論がなされているようである。その中の的確なアンサーの中に、 【略】...「なぜ人はめんどくさいという感情が出るのか?」という問いを設定する前に、「『めんどくさい』とは何か?」ということについて考えなければいけません。例えば「やろうと思っているのに手がでない」なのか、「やっているけど嫌々」なのか。というのがあった(出典はこちら)。上掲の“「やろうと思っているのに手がでない」なのか、「やっているけど嫌々」なのか。」という区別は非常に大切ではないかと思う。行動している最中や行動が終わった後の感想ではなくて、行動を始める前にそれを躊躇している時に「面倒だなあ」と感じることが多いように思う。 このほか、東京ガス都市生活研究所の各種レポートの中にも、日常生活諸行動の「面倒くささ」についての調査結果があり、まことに興味深い。孫引きになるがこちらの記事によれば、首都圏在住の20〜69歳の男女約3000人への調査結果に基づいて、同研究所が20代のライフスタイルを他の年代と比較分析したところによれば(2010年調査?)、
同研究所のコンテンツの中にはめんどくさいに直接言及したコンテンツもある。その中の冒頭部分、 世の中では、時短と省手間が進み、便利な商品やサービスが続々と登場しています。でも、「手間を省こう」「時間を節約しよう」とやっていること自体がめんどくさいことだったり、かつては便利だったことが「めんどくさい」に変化したりすることがあります。および、結語の部分、 とはいえ「めんどくさい」は人それぞれ。どんなに便利になっても、どんなに快適になっても、めんどくさいはなくならない。はまことにもっともであるとは思う。もっとも、環境への能動的な働きかけをすべて「めんどくさい」として機械に頼ってしまうようでは、生きがいそのものが失われてしまう。、時短と省手間が究極の改善策になるのかどうか、さらに考えてみる必要がありそうだ。 次回に続く。 |