じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 ↓の講演会参加のため、大阪大学・豊中キャンパスを訪れた。講演会開会の1時間以上前に着いてしまったので、阪急石橋駅入口付近にあった総合学術博物館(写真上)を見学、その後、待兼山の遊歩道(写真下)を歩いてみた。このキャンパスを訪れるのは3回目(前回は、日本心理学会第74回大会)となるが、博物館や遊歩道を訪れたのは今回が初めてであった。 博物館の展示はなかなか充実しており、岡大でもこういうものが欲しいところだ。

7月7日(土)

【思ったこと】
_c0707(土)「おひとりさまの最期」講演会(1)

 7月7日(土)は、大阪大学会館講堂で開催された

上野千鶴子「おひとりさまの最期」(主催:「ケアの臨床哲学」研究会)

に参加した。上野千鶴子先生のナマの講演を拝聴したのは、昨年12月23日に続いて2回目であった。

 今回この講演会に参加したのは、私自身が取り組んでいる「人付き合いをあまり好まない高齢者のQOL」と深く関わっていると考えたからである。もちろん、私がテーマとしている「人付き合いをあまり好まない人たち」は決して「おひとりさま」と同一ではない。おひとりさまであっても、親きょうだいや友人との交流を好む人もいるし(←実際、上野先生は「おひとりさま」であるが、人付き合いを好まない人ではない)、私自身のように、人付き合いは好まないが「おひとりさま」ではない者も居る。しかし、いずれにしても、我々のライフスタイルは、世の中の制度や経済と無関係には構築できない。人付き合いを好まないからといって誰でも隠遁生活が実現できるわけではない。収入や資産が無ければ、けっきょくは施設の多床室で最期を迎えなければならない。高齢になればなるほど、能動的に選ぶことのできる選択肢は限られていく。心理学では、在宅や施設入居者に聞き取り調査を行ってQOLを左右する諸要因を抽出しパターン化、モデル化をめざす研究がしばしば行われているが、現実社会の制度や経済状況、家族構成などと無関係に議論をできるとは思えない。ヘタをすれば、閉じた研究者集団内での、現実には何の役にも立たない、モデル改定版づくりに終始するだけの思考ゲームに終わりかねない恐れがある。

 参加したもう1つの理由は、高齢者のQOLの研究においては、いま生きている時点での生きがいばかりでなく、いずれやってくる最期にどう向かうのかが重要なカギになると考えるからである。これは必ずしも死生観の確立や内容に限るものではない。それぞれの人がどういう環境でどういう制度を利用して最期を迎えるのかという外在的条件も重大である。この視点を取り入れるためには社会学や経済学など、他領域の研究からも学ぶ必要がある。

 さて、今回の講演は「おひとりさまの最期」というテーマであったが、実質的な内容は「在宅看取り」に関わるものであった。もっとも、私には、なぜ在宅でなければならないのか、という素朴な疑問があった。というのは、私自身、学生時代の下宿から始まって40年余り、ずっと借家やアパート暮らしを続けており、そもそも「自宅」という概念が確立していないからである。延命治療の末に病院死するというのはイヤだが、しっかりと整った緩和ケア施設で、懐かしい風景画像を眺めたり、CGで創られた未知の世界のアドベンチャーなどにふけりながら最期を迎えるというのはそんなに悪いことではないように思う。もちろん、住み慣れた家で日常を保ちながら最期の時を迎えることを希望する人たちも少なくないので、在宅看取りを可能にするための諸制度の改革やビジネスモデル構築が必要であるとは思うけれど。

次回に続く。