じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 三連休の初日、山陽道経由で妻の実家のある北九州に向かった。16時頃、関門橋手前(山口県側)でこれまで経験したことのないほどの猛烈な雨に見舞われた。気象庁の統計によれば、下関で15時台に1時間雨量70.5ミリを記録しており、どうやら雨が一番強い時間帯に通過した模様である。写真は北九州の路上。こちらのほうも15時台と16時台に、それぞれ30.0ミリと33.0ミリを記録しており道路の一部が水につかっていた。

7月14日(土)

【思ったこと】
_c0714(土)「おひとりさまの最期」講演会(6)介護保険

 7月12日の日記の続き。

 講演では続いて、介護保険の話題が取り上げられた。このことについては昨年12月23日の講演会でも取り上げられており、2回目ということもあってよく理解できた。スライド資料に基づいて介護保険成立の要点を挙げると、
  • 医療保険の財政破綻の糊塗
  • 医療と介護の分離
  • (中産階級の)家族介護の負担低減。但し、低階層にはサービス低下
  • 高齢者の経済的自立が背景(年金制度の確立)
となる。上野氏は、介護保険成立の動機は不純であるが結果がよければOKという立場をとっており、今後、これを「おひとり様仕様」にすることを目ざしておられるようである。

 では、介護保険制度により何が変わったのか。この点に関して上野氏は、
  1. 措置から契約へ、恩恵から権利へ
  2. 福祉スティグマの軽減
  3. 在宅支援より施設志向へシフト
といった点を挙げておられた。

 このあたりの議論でなるほどと思ったのは、「税か保険か」という選択である。いっぱんに強制加入の保険(介護保険もその1つ)と税との違いは、受益と負担のリンクの強さにあると言われている。税を財源とした福祉では、どうしても福祉スティグマが生じる。保険ということであれば、自分が納めたのだから堂々と権利を行使できる。じっさい、介護制度が始まった当初は、近所の目を気にしてデイサービスの送迎車が自宅の前に停められるのをいやがる傾向があったそうだが、権利行使の考えが定着して、今ではそのようなことを躊躇するお年寄りはいなくなったとか。3.の施設志向に関しては、講演の後半では脱施設化や在宅看取りが主張されていた。

 介護保険や施設志向についてはいろいろな議論があるとは思うが、結局は、一人のお年寄りの生活を支えるために、家族や若者世代がどれだけの人的・時間的・金銭的負担を背負うことができるかというバランスの問題に帰着することになる。大金持ちであれば、在宅のままで、たくさんの人を雇って望むままに介護を受けることができる。しかし、国全体のバランスを考えた時には、介護の効率化という問題を避けて通るわけにはいかず、施設化という発想が生まれる。介護施設はいったんそこに入居したら戻る場所が無いという点では姨捨山と共通しているが、反面、それにより、孤独死を避け、最低水準以上の「人間らしい最期」を迎えることができるという可能性もある。そもそも介護施設に最良があるのかどうかは分からないが、現実として最善をめざすことを求めるほかはない。

 次回に続く。