じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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日本心理学会・第76回大会の会場となった専修大学・生田キャンパス。このキャンパスを訪れるのは初めでであるが、近隣の向ヶ丘遊園(2002年3月閉園)には、世田谷育ちであったこともあり、何度か連れて行ってもらったことがある。私が子どもの頃は、向ヶ丘遊園駅からの豆汽車があったが、お金がもったいないという理由で汽車には乗らずにいつも歩かされた。小学生の頃、豆汽車の線路沿いで行われた自然観察会に参加したこともあり、向ヶ丘遊園駅から遊園地入り口までは、自然いっぱいの環境であったと記憶している。 今回は駅から無料シャトルバスによる送迎があったが、小田急線の西側一帯には、昭和30年代を思い起こさせるような木造家屋が点在しているのが見えた。 |
【思ったこと】 _c0912(火)日本心理学会・第76回大会(1)高齢者の「孤立と孤独」を心理学から考える(1)孤立と孤独の定義は難しい 表記の学会が、専修大学・生田キャンパスで開催された。大会は9月11日から3日間の日程であったが、今年は1日目の9月11日に大学院の入試があったため、2日目午後から1日半という短期間の参加となった。日本質的心理学会年次大会の感想をまだ書き終えていないところではあるが、記憶の新しい内に、特に関心のあったテーマについて、順序を入れ替えて先に記しておきたいと思う。 まずは、2日目午後に行われた、 ●高齢者の「孤立と孤独」を心理学から考える というワークショップについてのメモ・感想。私自身の科研のテーマに非常に近い内容であると想定されたため、聞き逃してはなるまいと、朝一番に岡山を出発した。 さて、まず、タイトルに含まれる「孤立」と「孤独」であるが、発表要旨では、次のように記されていた。 高齢者の「孤立(isolation)」,「孤独(loneliness)」,さらには「孤独死」といった言葉が新聞紙上を賑わしている。これらは,決して新しい問題ではないが,高齢者の増加と共に表面化してきたものであり,政府や自治体といったフォーマルなレベル,あるいは地域や家族といったインフォーマルなレベルでの予防策が盛んに検討されている。しかし,高齢者の孤立や孤独は,各事例における状況が複雑で多岐にわたり,一足飛びで解決できるような問題ではない。フロアからの質問受付の際にも発言させていただいたところであるが、今回のワークショップでは、何を持って「孤立」や「孤独」と見なすのかについては、共通の定義や基準は設定されていないようであった。 例えば「一週間、いちども他者との対面が無かった」ことを「孤立」と定義することは可能ではある。しかし、そうなると、高齢者施設で介護を受けているお年寄りは誰一人として孤立していないことになる。孤独についてはいくつかの尺度があると聞いたが、認知症高齢者に質問紙で調査・測定することは困難であろう。 ちなみに「孤独死」については、今回の企画者の説明の中で、「発見までの日数」がある程度妥当な基準になりうることが示唆された。独り暮らしのお年寄りが亡くなられて発見されるまでの日数を横軸にして頻度分布を見ると、死後1日をピークとして、0日(当日)から6日後までのあたりを裾野とする山ができる。しかし7日以降は、10日、20日、30日、60日後と日数が伸びても頻度はあまり変わらない。要するに、普段は独り暮らしをしていて突然死しても、親族や近所と何らかの繋がりのある人は6日後までには察知されるが、完全な孤立状態にある人は、何十日経っても発見されない。このあたりに、孤立しているかしていないかという質的な差違があると考えるのは確率分布的にも妥当ではないかと思われた。 次回に続く。 |