じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



11月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§
 11月27日早朝はよく晴れ、11月24日の日記で言及した金星と土星の接近(11月27日14時13分に0°34′まで接近)の様子を眺めることができた(写真上)。その後雲が増えてきたが、日の出直前、太陽柱のような垂直の光の筋を眺めることができた(写真中)。但し、雲の隙間からの光線であった可能性もある。(ホンモノの太陽柱と思われる写真が2008年10月13日の日記(楽天版)にあり。)


11月26日(月)

【思ったこと】
_c1126(月)脳のはたらきからみた幸せのかたち(8)クロニンジャーと脳の神経伝達物質/自己超越

 昨日の続きで、この連載の最終回。

 時間の関係で殆ど言及されたなかったが、配付資料ではCloninger(クロニンジャー)の気質の4次元と脳の神経伝達物質についての仮説が紹介されていた。
  • ドーパミン:新奇性追求(行動の触発)
    探究心、衝動、浪費、無秩序
  • セロトニン:侵害回避(行動の抑制)
    予期懸念、悲観、不確実性に対する恐れ
  • ノルアドレナリン:報酬依存(行動の維持)
    感傷、愛着
  • □□□:持続(行動の固着)
    熱心、野心的、完全主義
といった特徴の整理が行われていた。なお、上掲の□□□は、特定の神経伝達物質とは対応していないようである。ま、ドーパミン、セロトニン、ノルアドレナリンなどの物質の不足や過多が気質と相関することは間違いないだろうが、行動分析学が説く行動随伴性理論から言えば、それらは、有効な好子や嫌子の質、好子や嫌子への感受性、強化スケジュールへの感受性という形に置き換えられるのではないかと思われる。例えば、新奇性追求というのは新奇な事象が強化されやすいということであり、侵害回避というのは、好子消失や嫌子出現の随伴性が強く働くというように置き換えることもできる。ドーパミンやセロトニンに対応づけても、それらの物質を補給しない限りは「気質」を変えることはできないが、行動随伴性に置き換えれば、強化の手順に従って、新奇性追求傾向、侵害回避傾向、報酬依存傾向、固着傾向などを変えることができるという次第。

 さて、今回の講演では、KOKOROスケールに現れている4象限のうち、第2象限の右上隅の状態、つまり、ワクワクしつつ、安心な気分を保つことが「幸せ」の本質であり、その逆のイライラ(もしくは、やる気の無い状態)かつ不安な気分は改善を要する状態というように位置づけられていた。しかし、講演者は、クロニンジャーの主張を踏まえて、マズローが晩年に唱えた「自己超越」(self-transcendence)もアリではないかというようなことを主張しておられた。これは35歳以上の人にとっての適応状態であり、人生の満足度を満たす一要因になり、自己忘却、霊的経験の受容、超個人的同一化などが含まれるという御主張であった。

 そう言えば、先日の日本心理学会でも宗教関連のワークショップが複数開催され(11月16日の日記参照)、また、直近の日本心理学会の『心理学ワールド』でもスピリチュアリティの特集が組まれるなど、無宗教と言われる日本でも、この種の話題が取り上げられつつあるように見受けられる。もっとも、クロニンジャーの言う「より大きな全体性」は必ずしも宗教に結びつくものではない。このWeb日記でも何度か取り上げたように、どんな個人主義者も、利己的であり続ける限りは、自分の死によってすべてのモノを失うことになる。その消失を避ける1つの方法は、自分の獲得物を、親族、さらにはご近所、地域、社会、...というように、自分が死んでも失われることのない管理形態に移転させることである。この場合、傍目には、クリスマスキャロルのスクルージ-が改心したように見えてしまうが、本質は利己主義の延長と言えないこともない。こういうケースでも「より大きな全体性」傾向は出てくるように見える。

 このほか、「もの」と「情報」があふれる世界がもたらすストレス・疲労・高齢化を、「“もの”から“こと”へ」、「“情報”から“情動”へ」に方向転換し、「互いに共感しあえる社会」、「物語が創られる心地・感性」というようなまとめがあったが、講演時間が短かったため、十分にお話を伺う時間がなかった。