| じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 | 
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| §  § | 12月6日早朝の岡山は、真夜中の0時台から1時台にかけて2.0ミリの雨を記録したものの、その後は晴れ間が出て、東の空に、12月5日に西方最大離角(07時48分、マイナス0.5等)を迎えた水星とマイナス4.0等の金星が並んで輝いているのが見えていた。 | 
| 【思ったこと】 _c1205(水)TEDで学ぶ心理学(19)Jane Fonda: Life's third act.(4) 8月23日の日記以来、各種心理学会の参加報告等ですっかり日にちが空いてしまったが、そろそろTEDの連載を再開することとしたい。まずは、中断していた、 Jane Fonda: Life's third act.(2011年11月) の連載の4回目から。 ジェーン・フォンダ氏は長寿が可能になることで新たに付け加わった人生の第三幕の意義を強調した上で、回想の効用を論じておられた。ここでいう回想とは、単に、過去の出来事を懐かしむものではない。 For me, it began as I was approaching my third act, my 60th birthday. How was I supposed to live it? What was I supposed to accomplish in this final act? And I realized that, in order to know where I was going, I had to know where I'd been. And so I went back and I studied my first two acts, trying to see who I was then, who I really was -- not who my parents or other people told me I was, or treated me like I was. But who was I? Who were my parents -- not as parents, but as people? Who were my grandparents? How did they treat my parents? These kinds of things. 上掲引用の最後のところにあるように、ここでいう回想は、ネガティブであると思い込んでいた出来事との関係を再整理し、自責の念や、過去にかかわった人物への憎しみ、怨みなどを解消しようとするものであるようだ。ジェーン・フォンダ氏は、 ヴィクトール・フランクルの言葉を引用した上で、自分自身の過去の出来事に関して、 This is what determines the quality of the life we've lived -- not whether we've been rich or poor, famous or unknown, healthy or suffering. What determines our quality of life is how we relate to these realities, what kind of meaning we assign them, what kind of attitude we cling to about them, what state of mind we allow them to trigger."というように、関係性の再構築が大切であると説いている。 もちろん、不幸な出来事や争い事が避けられればそれに越したことはないが、現実の世の中では、避けようとしても避けられなかったことはたくさんあり、しかも、タイムマシンが使えない以上、現実に起こってしまったこと自体を変えることはできない。しかし、人々の幸・不幸を決めているのは、事実そのものよりも、事実についての記憶であり、その記憶された事実とのあいだで構築された主観的な関係性であることが多い。過去の事実は変えられなくても、関係性は人間の側で変えることができるという主張であり、じっさい、ナラティブセラピーなどで活用されているのではないかと思う。 「事実よりも記憶」については、カーネマンも似たようなことを論じておられるが、これについては別途取り上げることとしたい。 なお、個人的な出来事とは別に、しばしば国の間の対立のもととなる歴史認識の問題がある。こちらのほうは、事実との関係性を再構築するというだけでは済ませるわけにはいかない。ジェーン・フォンダ氏のプレゼンでも引用されていたヴィクトール・フランクルの事例もそうであって、収容所の中での個人の生き延び方とは別に、そういう収容所を作ったという事実自体は断罪されなければならないし、同じ不幸を繰り返さないためにどうすればよいのかをしっかりと考えておく必要がある。 不定期ながら次回に続く。 |