じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



12月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§
 昨日に続いて、惑星と月の写真。12月11日の早朝は快晴となり、東の空に、【右上から順に】スピカ、土星、月、金星、水星が等間隔で並んで光っているのがよく見えた。

 月(月齢27.0)は明るすぎて輪郭がぼやけている。写真右上端が本当の形。


12月10日(月)

【思ったこと】
_c1210(月)TEDで学ぶ心理学(23)Daniel Kahneman: The riddle of experience vs. memory.(4)「記憶の自己」の幸福度

 昨日に続いて、

Daniel Kahneman (2010). The riddle of experience vs. memory.

の話題の4回目。

 プレゼンでは、さらに
If you ask for the happiness of the remembering self, it's a completely different thing. This is not about how happily a person lives. It is about how satisfied or pleased the person is when that person thinks about her life. Very different notion. Anyone who doesn't distinguish those notions is going to mess up the study of happiness, and I belong to a crowd of students of well-being, who've been messing up the study of happiness for a long time in precisely this way.
記憶の自己の幸福を尋ねるとしたら それはまた【全く】別物です。 これは ある人がどれだけ幸せに暮らしているか ということではなく その人が自分の人生を考えたときに どれだけ満足しているか ということです。かなり違う観念ですね。この観念の違いがわからなければ 幸福の研究はうまくいきません 私は まさにこんな感じに 長い間 幸福の研究がうまくいかずにいる―学者の1人です
として、「記憶の自己」の幸福を特徴づけている。そして
So in recent years, we have begun to learn about the happiness of the two selves. And the main lesson I think that we have learned is they are really different. You can know how satisfied somebody is with their life, and that really doesn't teach you much about how happily they're living their life, and vice versa. Just to give you a sense of the correlation, the correlation is about .5. What that means is if you met somebody, and you were told, "Oh his father is six feet tall," how much would you know about his height? Well, you would know something about his height, but there's a lot of uncertainty. You have that much uncertainty. If I tell you that somebody ranked their life eight on a scale of ten, you have a lot of uncertainty about how happy they are with their experiencing self. So the correlation is low. We know something about what controls satisfaction of the happiness self. We know that money is very important, goals are very important. We know that happiness is mainly being satisfied with people that we like, spending time with people that we like. There are other pleasures, but this is dominant. So if you want to maximize the happiness of the two selves, you are going to end up doing very different things. The bottom line of what I've said here is that we really should not think of happiness as a substitute for well-being. It is a completely different notion.
近年では 二つの自己に絡んだ幸福に関して 解明し始めたところです 我々が学んだ主なことは 二つがまったく別物だということです ある人の人生の満足度を測る事はできても そこから その人が どれだけ人生を幸せに過ごしているかはわかりません 反対のことも言えます その相関性を示してみます 相関性は約0.5です 例えば 父の身長が180cmだと ある人が言ったとしても 彼自身の身長に関しては何もわかりませんね 多少の目安にはなりますが はっきりしたことはわかりません それくらい不確かだと思ってください ある人が 自分の人生は10点満点中8点だと言ったとしても どれだけ経験の自己が 幸せなのか 推しはかることはできません ですから相関関係は低いのです 幸福に対する満足度を支配する要素はわかっています お金は大切ですし 目標も大切 幸福とは主に 好きな人と共に 満足することであり 好きな人と時間を過ごすことです 他にも考えられますが これが支配的です ですから 二つの自己の幸福度を強めたい場合は まったく異なる事柄を する事になるでしょう 要は 幸福は心身ともに健全でいることと 同じ事だと考えるべきではないのです 二つはまったく違った観念です
 昨日も述べたように、このあたりの指摘は、質問紙や面接調査で測ろうとする「幸福度」は「記憶の自己」の幸福度であって、いまどれだけ幸せに生きているのかを測っていることにはならないということを示唆していると言えよう。QOLに関する種々の議論も、この点を考慮しなければならないであろう。

 では、「経験の自己の幸福」と「記憶の自己の幸福」のどちらが大切なのか、ということであるが、これは決して二者択一で選ぶようなものではない。カーネマンも指摘しているように、「記憶の自己の幸福」を高めるためには、「経験の自己の幸福」の最低水準を保つ必要がある。例えば、収入が確保できずに、日々不安定で苦しい労働を強いられている状況では、記憶の自己を幸せにすることは困難である。じっさい、プレゼン終了後の問答のなかで、年収6万ドル以下では経験の自己の幸福度は収入と相関するが、6万ドル以上では無相関になってしまうという調査結果が紹介されていた。もっとも、国税庁の民間給与実態統計調査によると、日本人のサラリーマンの平均年収は平成7年度から13年度あたりで450万から500万円、平成14年度以降はしだいに下落して400万円台前半にあるというから、カーネマンの言う年収6万ドルの水準はなかなか確保しにくい。そういう経済状況のもとでは、やはり、格差解消、雇用確保、賃金や年金の最低保障といった施策が求められることになるものと思う。

次回に続く。