じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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昨日に続き、岡大・南福利施設(ピーチユニオン)前で始まったイルミネーションの写真。昨日は18時半頃に撮影したため、ピーチユニオン建物内の照明が邪魔をしていた。今回は、消灯少し前(20時半すぎ)に訪れたため、バッチリ撮ることができた。 |
【思ったこと】 _c1213(木)“叱りゼロ”社会はなぜ実現できないのか?(1) 少し前のNHK「ニュースで英会話」という番組で、「「ドラえもん誕生まで“100年記念” (アンコール放送) 」という話題を取り上げていた。ドラえもんは2112年9月3日に生まれて、タイムマシンで、のび太の住む時代にやってきたという想定になっているため、今年がちょうど「生誕100年前」にあたるのだそうだ。 このことでもう1つ、 ●ドラえもん“生誕100年前祭” ドラえもん誕生日スペシャル「アリガトデスからの大脱走」 を録画していたことを思い出した。還暦を過ぎたこの歳で普段はドラえもんを視ることは全く無いのだが、予告CMで「叱り」を取り上げると知り、行動分析学関連のネタになるのではないかと思い予約録画しておいたのであった。 最近、これを再生・視聴してみたが、確かに「叱り」の問題を考えるにはよいネタであると思った。番組自体は、親や先生の叱りというのは決して怒りの爆発ではなくて、本人の成長やよりよい社会を守るために必要であるという趣旨であったと思うが、私はむしろ、“叱りゼロ”がもたらす矛盾のほか、お金(←番組ではダイヤモンド)とは何かも考えるヒントとして役に立ちそうな内容であったと感じた。 まず、この番組のあらすじはだいたい以下の通り。 9月3日の始業式の朝、夏休みの宿題が終わっていないのび太は、先生に怒られるのが嫌でひみつ道具の「もしもボックス」を使い、世界を「叱ってはいけない世界」にしてしまう。ところがその影響で、未来までが、叱っただけで逮捕されて収容所に入れられてしまうという世界に変わってしまった。未来に戻ったドラえもんは、悪ガキを叱った罪で、その悪ガキの担任の先生などと一緒に「叱り現行犯」で逮捕され、ロボット収容所に囚われてしまった。その収容所の地下では、支配者一族の繁栄のためにダイヤモンドの採掘が行われており、囚人ロボットたちはそのための労働を強いられていた。なお、ネットで検索したところ、細かいシーンの展開が、こちらや、こちらに紹介されていることが分かった。 さて、この番組で誰でも気づくと思われる矛盾は、もしもボックスで未来に誕生した「叱りゼロ」社会において、「誰も叱っちゃいけない世界」でありながら、「叱ると現行犯逮捕される」、つまり、「叱ると叱られる」という自己矛盾が生じている点である。もう少し正確に言えば、罰的手段を禁止している国において、それを統制する手段として罰が用いられているという矛盾である。 では、ほんとうに罰的統制の無い社会は実現できるのか?ということになる。これについては、スキナーが、1979年の来日時に、まさに文字通りの、 Non-punitive Society という講演を行っている。もっとも、罰的統制の効用については、行動分析学者の間でも意見が分かれており、特に「好子消失阻止の随伴性」を用いた強化については、積極的に活用すべきだと主張する人たちもいる。(こちらの論文参照。) 次回に続く。 |