じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 校友会体育系クラブ棟完成。

 9月から、岡北中学との境界近くで行われた建設工事が完了し、建物の周りが通れるようになっていた。写真下の案内板を見ると、私の知らないサークルがたくさんあることに驚く。なお、これ以外にも、建物まるごと一棟を使用しているサークルや別棟に部室のあるサークルがいくつかある。


2012年12月21日(金)

【思ったこと】
_c1221(金)“叱りゼロ”社会はなぜ実現できないのか?(9)まとめ

 TVアニメ「ドラえもん」の

●ドラえもん“生誕100年前祭” ドラえもん誕生日スペシャル「アリガトデスからの大脱走」

をきっかけとして、阻止の随伴性や罰的統制を取り上げてきたが、そろそろまとめに入りたいと思う。

 すでに述べたように、個人レベルの叱りは、
  1. 望ましくない行動が生起した場合に嫌子提示(嫌子出現)や好子奪取(好子消失)によってそれを弱化する
  2. 望ましい行動が起こらなかった時に、嫌子提示(嫌子出現)や好子奪取(好子消失)。これによって、「望ましい行動をちゃんと行うことで、嫌子出現あるいは好子消失を阻止する」という回避型の強化をめざす
という2つのタイプがあると述べた。しかし、
  • 1.のケースでは、望ましくない行動が頻繁に生起しているのはそれが強化されているからであり、真の強化因を取り除く努力をしなければ本質的な解決につながらないこと、
  • 2.のケースでは、望ましい行動は本来、その行動によって自然に随伴(もしくは行動内在的に随伴)するような強化因によって強化されるべきであり、回避型の強化による介入は、あくまで暫定的、橋渡し的な段階にとどめるべきである
という主張があることを紹介した(“叱りゼロ”の原理)。

 また、2.に関しては、嫌子出現阻止よりは、好子消失阻止のほうが弊害が少ないと述べた。これは、社会的なレベルにおいても、
  • 嫌子出現阻止による罰的統制:奴隷制、徴兵制、刑罰
  • 好子消失阻止による罰的統制:罰金、課徴金、格差社会、国家間の経済格差
というように分類できる。労働に関して言えば、奴隷制社会では奴隷は体罰を逃れるために働くが、格差社会では人々は解雇されないために働く。現代では、嫌子出現阻止による罰的統制はしだいに廃止されているが、格差に依拠した「好子消失阻止の随伴性」による統制はむしろ、目に見えない形で広く浸透している。但し、仮に平等社会になったとしても、人間は労働なしには生きていかれないので、何らかの「好子消失阻止の随伴性」の仕掛けは必要である。

 さて、個人レベルの行動に戻って、改めて「好子消失阻止の随伴性」を考えてみよう。この随伴性は、基本的には

●好子消失阻止の随伴性:行動すれば安定して好子を受給できるが、行動しなければ好子受給の権利を失う

というように定義できる。しかし、日常生活において、当該の行動が習慣的に行われている限りにおいては、それは、結果的には、好子出現の随伴性による強化と同じことになる。つまり、

●好子出現の随伴性:日々規則的に行動し、行動の努力と質に応じて好子を受給する

ということである。であるからして、日々の行動が無理なく行われている限りにおいては、我々はそれを義務的とは感じないし、感じる必要もない。例えば、我々は1分間に15〜20回程度呼吸をしているが、健康な状態であれば、別段、

●呼吸をしなければ酸素を消失する

という好子消失阻止の随伴性を意識することはない。(→呼吸自体はレスポンデント的要素を含むが、ここでは形式上、好子消失の随伴性と見なす。) 但し、水泳をしている場合、標高5000m以上の山に登った場合、あるいは、病気や障がいで肺の機能が低下しているような場合には、呼吸が好子消失阻止の随伴性によって維持されているということを強く実感する。

 好子消失阻止の随伴性を必要以上に強く意識するのは、いわゆる悲観主義につながり、さらには強迫神経症的な行動に陥る恐れがある。最近の心理学会のワークショップなどでは、適度の悲観主義はむしろ個人の努力・成長に有用であるとの見方もあるが、「○○しないと、××が失われる」ばかりに囚われていて日常生活に支障が出てくるようでは困りものである。このあたりの話題は、最近刊行された、

奥田健次(2012).メリットの法則――行動分析学・実践編 (集英社新書) .

でも指摘されており、大いに参考になる。

ということで、今回の連載はこれをもって終了とさせていただく。