京都心理学セミナーことばと体験をつなぐもの〜心理療法からエコマネーまで〜2001年5月12日(土)13時30分〜17時 京都大学文学部・新館第3講義室 |
【思ったこと】 _10512(土)[心理]京都心理学セミナー(1)セルフマネジメント/エコマネー 5/12の13時30分〜17時、京都大学文学部で「京都心理学セミナー:ことばと体験をつなぐもの〜心理療法からエコマネーまで〜」が開催された。このセミナーは、私の指導教授でもあったM教授の御退官を記念して創設されたものであり、教室のOBが順番に世話役を引き受け、他大学の心理学関係者を招いてお話しを聞く企画である。30回目は長谷川がそれを引き受けることになった。 トップバッターの杉山尚子氏(山脇学園短期大学)からは、例えば「甘い物を食べ過ぎると太る」とか「タバコを吸うと健康に悪い」といった、理屈では分かっていることがなぜ改善行動に結びつかないのかについて、ご自身が指導しておられる大学でのセルフマネジメントの実例を挙げながら、行動分析学的視点からの話題提供をいただいた。 杉山氏によれば、行動を変えるには
次に「エコマネーの世界が始まる〜人間に優しい社会〜」といいうタイトルで、エコマネーネットワーク事務局長の中山昌也氏から話題提供があった。エコマネーに関してはこの日記でも何度か取り上げているが、御本家から直接お話しを伺うのは今回が初めてであった。ちなみに中山氏は京大大学院工学研究科のご出身。私にとっては同じ大学の先輩にあたる。 まず、「エコマネー」はしばしば「エコロジー」+「マネー」であるように思われてしまうが、実際は加藤敏春氏の造語「エコミュニティ+マネー」を略したものであるということだった。今回、中山氏からいただいた 『エコマネーの新世紀』(加藤敏春、頸草書房、2001年) によれば、エコミュニティは次のように規定されている。 「エコミュニティ」においては、生活者である人間が、コミュニティ・ビジネスが活発に興る“経済”(Economy)と生活者が帰属意識を感じる“コミュニティ”(Community)が一体となった経済社会構造の下で、“自然”(Ecology)と共生し、地球に優しく持続的な発展をめざすことが目的とされる。[p.30]エコロジーも重要な要素ではあるが、さらに広い概念を含むものであると言えよう。 次に、5/10の日記(2001年6月以降は、こちらに移動)でも紹介したように、エコマネーは、 「エコマネー」とは、環境、福祉、地域コミュニティ、教育、文化などに関する多様な価値を媒介する、二一世紀の「新しいお金」です。従来の市場経済の尺度でははかれない価値を、その多様性を評価したうえで、流通させるものです。[『エコマネーの世界が始まる』(加藤敏春、講談社、2000年)]と定義されているが、この「多様な価値を多様なまま評価し、媒介できるマネー」という発想は、実は、原始時代のお金の原型なのだそうだ。ところが、コミュニティの中で通用していたお金が外との交易にも使われるようになり、さらに、それを貯えたり、他人に貸して利息をとったりするようになる。中山氏によれば(加藤敏春氏の『エコマネーの新世紀』の14頁にも記述あり)、現在世界で流通しているお金は300兆ドルほどであるが、地球上に存在するすべてのGDPの合計は50兆ドル(加藤氏の著書では30兆ドル)にすぎない。残りはいわばバブルなお金で、現在の我々はそれに振り回されて生活している。それを見直す役割を果たすのがエコマネーということになる。 このあたりまでは私も理解していたのだが、今回の話題提供で、エコマネーには次のような重要な特徴が含まれていることに気づいた。時間が無くなったので次回に続く。
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【思ったこと】 _10514(月)[心理]京都心理学セミナー(2) 「エコマネー」の特徴として新たに気づいたこと 昨日の日記で「エコマネーの世界が始まる〜人間に優しい社会〜」に関して、エコマネーには次のような重要な特徴が含まれていることに気づいた。
次に2.だが、「有効期限」というのは、「エコマネー」以外でもしばしば重要な役割を果たしている。その基本は
ゲームの中には「使わないと罰」というものもある。例えば、七並べではしばしばジョーカーを混ぜてカードが配られる。ジョーカーは、それに続くカードと一緒に使わなければならない。ジョーカーは、カードを並べる機会を増やすという点で好子である。ところが、最後まで持っていると最下位になってしまうのである。このルールでは、プレイヤーは常に、「使わなければ負け」というルールを念頭に、どのカードを出すかを判断していかなければならない。 エコマネーの場合、期限切れになることはどんな効果をもたらすだろうか。もちろん「七並べ」のルールのように最下位になることはないが、「せっかく残っているのだから使い切ろう」という好子消失阻止の随伴性は同じように働くはずだ。となると、提供サービスのリストを見て、何かサービスをしてくれる人は居ないかを探すことになる。これは結果的に、相手方の互助・共助的な行動を引き出す効果をもたらす。 最後の3.であるが、すでに述べたように、 「エコマネー」とは、環境、福祉、地域コミュニティ、教育、文化などに関する多様な価値を媒介するお金という特徴を備えている。これは、エコマネーによって評価されるものが、コミュニティ内の「関わり合い」を基本とするという意味を含んでいる。それゆえ、不用となった箪笥と畑で採れたサツマイモを交換するという場合にはもはやエコマネーは要らない。物々交換だけで済むからである。いっぽう、「不用となった箪笥を家の奥から運び出し、処分場まで運ぶ」というのは評価対象となるだろう。モノではなく行動が対象となっているからである。 中山氏も言っておられたが、「他者と関わる行動」というのは通常のお金ではなかなか強化されにくい。財産を貯えているお年寄りは、わずかの小遣いをもらって技能の伝授などしない。高齢者対策事業として行われる町内美化作業なども、通常のお金で強化しようとするので職種や参加者が限られてしまうのである。「着付けのしかたをお年寄りから教えてもらう」というのは、お年寄りに現金を払ってもまず実現しない。エコマネーを支払うことで初めて、お年寄りの「それなら、ちょっと教えてあげようか」という気になるのである。 エコマネーについては、もうひとつ「信用通貨から信頼通貨へ」という興味深い話題があった。これは、 『エコマネーの新世紀』(加藤敏春、頸草書房、2001年) の302頁の図表6-1に基づくものである。加藤氏の図によれば、通貨システムは、「ボランティア経済か貨幣経済か」という軸と、「信頼関係か債権債務関係か」という軸により2次元平面上で4通りに分類される。すなわち、
我々がふだん使っているお金以外をすべてエコマネーであるように思っていたが、このように考えてみると、一般の地域通貨やふれあい切符などとは区別すべき部分があることに気づいた。なお、この問題については、上掲の『エコマネーの新世紀』に詳しい比較考察があった。 以上、エコマネーの話題提供について感想を述べてきたが、この発想は、例えば、研究者相互の校閲サービスとか、大学のゼミ内での学生の互助・共助を活性化する上でも大いに役立つのではないかと思う。今後さまざまな試みが行われることを期待したい。 |
【思ったこと】 _10516(水)[心理]京都心理学セミナー(3) 「行動を変える心理療法」の新しい視点 今回からは3番目の 武藤崇氏(立命館大学)・高橋稔氏(広島国際大学):ことばの「ふるさと」と心理療法〜「閉じた『ことば』の世界」に亀裂を入れるには? について感想を述べていくことにしたい。 武藤・高橋氏の話題提供は、「Acceptance and Commitment Therapy (以下、ACT) 」に関するものであった。この新しい視点を理解するためには、まず、その発端となるヘイズ(Hayes)らの1989年の論考: Avoiding and Altering Rule-Control as a Strategy of Clinical Intervention. In Hayes (ed.) (1989). Rule-governed behavior:Cognition, contingencies, and Instructional control. Plenum. に目を通しておく必要がある。そこで、今回はまず、ヘイズらの論考を参照しながら、「行動を変える心理療法」の意義と限界について私なりに考えをまとめておきたいと思う。 さて、言うまでもなく、行動分析的視点に立った心理療法では、行動をいかに変革するかが最大の課題となる。これには
念のためお断りしておくが、「行動を変える」ことを強調してしまうと、具体的行動に表れにくい「気分」や「感情」、「充実感」などは変えられないのかという疑問が出てくるがそうではない。それらは、行動と表裏一体となって湧き出るようなものであり、行動を変えることで初めて変化させることができる。例えば、「無気力」や「怠惰」な気分は、能動的な行動に着実に結果が伴うようになった時に自然に消失するものである。「悲しみ」は、もちろん時の流れとともに忘却する場合もあるが、より前向きに取り組む行動が強化されれば、より早く、過去に囚われない生活に復帰することができる。いずれにせよ、行動をどう強化(あるいは弱化)するかを検討する過程では、変革を妨げるネガティブな感情を克服する必要に迫られるであろうし、変革を推進する感情は勝手についてまわるようになるはずだ。 ところで人間のように言葉を使うことのできる動物の行動は、直接体験に基づいて形成・維持される場合と、ルールによって形成・維持される場合がある。行動を変革する際にもこれら2つに分けて考える必要がある。 このうち、ルールによって形成・維持される場合から先に考えてみよう。ちなみに、ここで言う「ルール」とは、直接体験(正確には行動随伴性)を言語的に記述したものとして定義されるが、一般に言われる「信念(ビリーフ)」と似たものと考えても当面は差し支えない。そこでは2つのタイプの弊害が起こりうることが想定される。
いっぽう2.としては、言語コミュニティがあまりにも強力なルールを維持すると、直接経験でそれを変えることができなくなる。論理療法で対象とされるイラショナルなビリーフなどがこれに相当する。反社会的宗教団体によるマインドコントロールも同様だ。 次に、直接体験に基づいて形成・維持される場合には
このうちの2.は、大きな反省材料となるかもしれない。実験論文では「真に問題とすべき行動」ではなく、「実験的に操作しやすい行動」が研究対象となりやすいからである。 なお、ヘイズは「文脈から切り離して区別しやすいような社会的困難の場合には形態的定義が有効」であるとも述べている。例えば、毎日1万歩歩くという行動は、自宅でも旅行先でも、文脈から切り離して実行可能である。喫煙のように具体的に「何本吸う」という量的把握ができる行動も同様である。しかし、現実の行動は相互に連関しており、文脈フリーというわけにはいかないのだ。 |
【思ったこと】 _10517(木)[心理]京都心理学セミナー(4) 「経験の回避」の悪循環 昨日の日記では、
ここでさらに補足させていただくが、「行動を変える心理療法」と言っても、何も行動を変えることだけを万能と考えているわけではない。そもそもスキナーの提唱した行動分析は、自発される行動(=オペラント)だけがすべてとしたわけではない。行動には、自発される行動と、刺激によって誘発される行動(=レスポンデント)の二種類があるというのがまず出発点にあり、そのうえで、生活体が外界に能動的に働きかける機会の重要性を考慮した上でオペラント条件づけや行動随伴性の原理が重んじられるようになったのである。 それゆえ、レスポンデント的に形成される不安や恐怖、嫌悪感などは、当然のことながらレスポンデント的に消去されていかなければならない。
さて、元の話題に戻るが、「個々の独立した行動の改善だけでは、生活全般を変えるのが難しい場合」というのは他にもいろいろなケースがある。 今回の武藤・高橋氏の話題提供の中で取り上げた「経験の回避」(Experiential Avoidance)はその中でも特に深刻な悪循環をもたらす。「経験の回避」は、ある個人が
武藤氏によれば、ACTの援助手続のポイントは、次の6点にまとめられる。
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【思ったこと】 _10518(金)[心理]京都心理学セミナー(5) 「経験の回避」から脱出する方法 武藤氏は、Acceptance and Commitment Therapy (ACT) の援助手続のポイント:
内的事象が行動の問題を引き起こす。だから内的事象を変えよう! という「内容(content)」指向のアプローチ自体の発想の転換を求めるもの、つまり、 「内的事象が行動の問題を引き起こす。だから内的事象を変えよう!」という「問題設定」自体を変えよう! という「文脈(context)」指向のアプローチ」を実現させるところにあるようだ。また、その転換の実行原理には、行動随伴性のパラダイムが活かされている。これらの点では、行動分析の延長上で発展したものと言えないこともない。 |
【思ったこと】 _10520(日)[心理]京都心理学セミナー(5) 「acceptance」の技法 武藤氏は、Acceptance and Commitment Therapy (ACT) の援助手続のポイント:
●Hayes, S. C., Kohlenberg, B. S., & Melancon, S. M. (1989). Avoiding and Altering Rule-Control as a Strategy of Clinical Intervention. In Hayes (ed.) (1989). Rule-governed behavior: Cognition, contingencies, and instructional control. Plenum. ●Hayes, S. C., & Wilson, K. G. (1994). Acceptance and commitment therapy: Altering the verval support for experiential avoidance. Behavior Analyst, 17, 289-303. をもとに、ACTが確立された経緯についてもう少し述べておくことにしたい。 ACTの援助手続については、すでにHayes et al.(1989)の中で、お馴染みとも言える事例がいくつか紹介されている。その後のHayes & Wilson (1994)などを見ると、その技法は100以上にもなる。いま少し、いくつかの事例を紹介すれば、
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【思ったこと】 _10521(月)[心理]京都心理学セミナー(6) 「言葉」による「行動の支配」のつながりを解放すること 連載の最終回。今回のセミナーで、高橋氏は ●Hayes, S. C., Bissett, R. T., Korn, Z., Rosenfarb, I. R., Cooper, L. E., & Grrundt, A. M. (1999). The Impact of Acceptance versus Control Rationales on Pain Tolerance. The Psychological Record, 49, 33-47. が行った実験、および、それらを発展させた高橋氏と武藤氏による実験の内容を紹介された。 上記の文献は高橋氏の話題提供後にさっそく入手したが、まだ読んでいない。あくまで、孫引きということになってしまうのだが、Hayesらの実験は、「摂氏0度の冷水に手を入れる」という「痛み」課題において、事前に、ACT理論に基づくrationaleあるいは、認知行動療法やストレス免疫訓練といった考え方を元にした講義(Control rationale)が、痛みに耐える時間や報告される「主観的な痛み」にどういう効果を及ぼすかを検討したものであった。ここで「rationale」というのは、理論的な説明とエクササイズ、実習を含むものであったという。概略としては
次に高橋氏は、武藤氏と共に行ったオリジナルの実験研究を紹介された。Hayesらの元の実験でrationaleの内容が「講義」と「エクササイズ」とに分かれていた点について、特に、「エクササイズ」に注目し、エクササイズの内容の違いの効果を検討したものであったが、未だ公刊されていない研究であるのでネット上で内容に立ち入ることは差し控えたいと思う。 以上2つの実験研究を通じて導かれる Acceptanceの状態は知識として獲得できるものではなく、経験を通して獲得されるものである という結論、特に 「言葉」による「行動の支配」のつながりを解放する。 ことに注目した点は多いに評価できると思った。 もっとも、私自身が日頃から主張している心理学研究における実験的方法の意義と限界という視点(こちらに続編あり)から見れば、これらの実験研究だけでは納得のいかない点もある。それらは
中学校の宿泊研修は、海の近くがよいか、山の中で行うのがよいか。 を比較したようなもの。一口に「海の近く」という条件でも、海水浴ができるのか、海を眺めるだけなのかによって内容は著しく異なる。ロケーションも大きく影響する。 となると、Hayesら、あるいは武藤・高橋氏の主張は、結局のところ、実験によって実証されるというより、実践活動の中で多様な成果をあげることによって有効性が確認されていくべきものではないかと感じた。 なお、Hayesらの研究は、1999年に ●Hayes, S. C., Sstrosahl, K. D., & Wilson, K. G. (1999).Acceptance and Commitment Therapy: An Experiential Approach to Behavior Change. Guilford Publications.ISBN 1572304812. として出版されており、その書評が2000年のThe Psychological Record誌(51巻、167-170頁)に載せられていることが後日わかった。上記の書籍は現在注文中である。入手後、細かく拝見した上で、さらにコメントさせていただきたいと思っている。 [5/22追記]武藤さんから、この日記(一連の連載分を含む)に対するリプライをいただいた。御本人から了承をいただいたので、ここに転載させていただく。ありがとうございました。[改行箇所、見出しのアンダーラインは一部長谷川のほうで改編] 発表内容の「輪郭」を描いていただいて感謝しております。 |