インデックスへ



人間・植物関係学会2007年大会


2007年6月2日(土)〜3日(日)
東京農業大学・厚木キャンパス

目次
  • (1)セバスチャン・ クナイプの教えたこと(1)
  • (2)セバスチャン・ クナイプの教えたこと(2)
  • (3)自然のもたらす心の癒し〜病跡学的視点から〜(1)
  • (4)自然のもたらす心の癒し〜病跡学的視点から〜(2)
  • (5)口頭発表の感想


【思ったこと】
_70609(土)[心理]人間・植物関係学会2007年大会(1)セバスチャン・ クナイプの教えたこと(1)

 6月2日と3日に開催された表記の大会のメモ・感想の一回目。

 大会初日の午後には
 クナイプ・シューレ校長のGerman M. Schleinkofer氏による

●「人間の全人的癒し:セバスチャン・ クナイプの教えたこと」

という基調講演が行われた。




 セバスチャン・クナイプ(1821年ドイツに生まれ)は「クナイプ療法」という自然療法を提唱した人として知られているが、日本ではまだまだ馴染みが薄く、断片的にしか伝えられていないようである。

 じっさいGoogleで「セバスチャン・クナイプ」を検索するとトップのほうにランクされるているのは、バラの花の品種名の紹介であったりする。

 また「クナイプ」で検索した場合は、入浴剤、塩、ハーブなどの商品紹介が出てきたり、森林セラピーの中で紹介されていたりする。またその目的も、医療効果を狙ったものなのか、健康法の1つであるのか、はっきりしないところがある。

 岡山に戻ってからさらに検索をかけてみたところ、どうやら、

KNEIPP:安らぎの香りとハーブの魔法をあなたに。

というのが、商標登録つきの公式サイトであるようだ。

 今回の基調講演のスライドや、森林セラピーの紹介サイトから、クナイプ自然療法の概要を要約すると、
  1. Water(水療法):温冷水浴=冷水浴・温水浴、湿布・清拭、蒸し風呂など100種以上
  2. Plants(植物療法):ハーブ・薬草などを使った食事や入浴やアロマテラピーなど
  3. Exercise(運動療法):森林散策=2時間程度の森林散策、スポーツ、体操、マッサージ、呼吸療法など
  4. Nutrition(食事療法あるいは食物療法):栄養バランス=ハーブ、薬草を用いた料理、自然素材の完全食
  5. Balanced Life(調和療法):規則正しい生活。心身の自然との調和=緊張と緩和、運動と休養、仕事と休暇など
というようになる。今回の講演によれば、1.から4.は相互に連関し、例えば、水療法と運動療法を連結すると「水の中を裸足で歩く」というプログラムが成立することになる。

 また、5.の「Balanced Life」は1.から4.を統合する上位の概念として紹介されており、講演を拝聴した限りでは、「5つの構成要素」という表現はされていたものの、それらは並列的ではなく「4つの相互に重なり合う領域と、その上に成り立つバランスのとれた生活」というのが正確な表現であるようにも思えた。

【思ったこと】
_70610(日)[心理]人間・植物関係学会2007年大会(2)セバスチャン・ クナイプの教えたこと(2)

 昨日の日記に述べたように、クナイプ自然療法は、
  1. Water(水療法):温冷水浴=冷水浴・温水浴、湿布・清拭、蒸し風呂など100種以上
  2. Plants(植物療法):ハーブ・薬草などを使った食事や入浴やアロマテラピーなど
  3. Exercise(運動療法):森林散策=2時間程度の森林散策、スポーツ、体操、マッサージ、呼吸療法など
  4. Nutrition(食事療法あるいは食物療法):栄養バランス=ハーブ、薬草を用いた料理、自然素材の完全食
  5. Balanced Life(調和療法):規則正しい生活。心身の自然との調和=緊張と緩和、運動と休養、仕事と休暇など
という5つの要素(もしくは1.から4.と、それを調和させたライフスタイル)から構成されるが、今回の話題は主として、「ホースで冷水をかける」といった「水療法」の紹介が中心であった。

 実は私は、この講演が始まる14時ギリギリまで学会・理事会に出席しており、トイレに行って戻ってきた時にはすでに講演が始まっていて、なぜ水療法の紹介が中心になったのかという理由をうかがうことができなかった。ということであくまで推測になるが、「ホースで冷水をかける」といったセラピーは、水のかけ方、温度管理、かける時間など、かなりの訓練を要するため、クナイプ・シューレでも、それだけ、重きを置いているためであるかもしれない。冷水を浴びせるというのは、体温調整を一度崩し、バランスを取り戻させることで視床下部の働きを高める効果を狙っているようであった。

 もっとも、せっかくの人間・植物関係学会での講演であるからして、水療法の話は最小限にとどめ、植物療法や森林セラピーに重点を置いてほしかったという気持ちはある。




 次に植物療法に関しては、いくつかのハーブの効用が紹介された。クナイプ自身の本の中では、水療法に関する記述が80頁ほどあるが、ハーブについても40頁が割かれていて、かなり重視されていたことが分かる。その後、近代科学の進歩により、それぞれのハーブについての効用が実証されるようになった。なお、各種ハーブの中で、ラベンダーだけは、医学的な根拠がまだ見つかっていないというお話であった。




 人間・植物関係学会に最も関係が深いのは、運動療法の一環としての森林セラピーではないかと思うが、このことについては、詳しい話は無かったように思う。昨日の日記にリンクした森林セラピー・ポータルでは、
  • ドイツ国内には64ヵ所の保養地があり、これらにクナイプ医師連盟が調査・設計を行った森林散策コースがあります。また、保養地にある保養宿泊施設のすべてには、医師が往診・常勤できる仕組みとなっています。
  • クナイプ療法の画期的な点は、社会健康保険が適用されるというところにあります。
  • ドイツでは4年に一度3週間の保養を行うことが法的に認められているので、これを利用してクナイプ療法を行う人も多くいます。
  • クナイプ療法の発祥の地バート・ウェーリスホーフェンには、毎年100万人近い人が訪れています。この地の行政機関と民間の医療団体の間にはしっかりとした協力体制が取られており、これも、この地の自然療法が盛んな理由の一つだと考えられます。
というように紹介されており、森林の多い日本でも、森林セラピー普及が期待される。

 このほか、5.のBalanced Life(調和療法)は、クナイプ社の該当項目の説明では「規則正しい生活」と訳されており、リズムの安定した生活、自分の時間のコントロールなどに重点を置いていたようだが、そのことをもって「バランスのとれた生活(Balanced Life)」になるのかどうかは、イマイチ分からない。日本語の解説書も刊行されているようなので、それを拝見した上で見極めていくことにしたい。





 今回の講演についての全般的な感想としては
  1. セバスチャン・ クナイプの先見の明には敬意を表するとしても、それを無批判に継承するわけにはいくまい。特に日本においては、日本独自の文化・伝統(例えば滝修行、寒中水泳、温泉・冷鉱泉の活用、里山、田んぼ)を取り入れてカスタマイズした上で、活用を目ざしていく必要がある。
  2. この療法は全体として健康法なのか、治療を狙ったものであるのか、あるいは、リハビリテーションの一環であるのか、使い分けが必要。
  3. そもそも「自己治癒力」とか「自然治癒力」というのは、自然と闘う力なのか、自然と一体化する中でバランスを保つ力なのか。
 このうち2.に関しては、質疑の際、医療の代替ではなく、治療でもなく、治療を補完する目的である、「医者は治療するが、自然は癒す」というような回答があったと記憶しているが、はっきり確認できなかった。

 3.は、「私たちは自然の恵みによって生かされている」という仏教的な自然観に立って老・病・死を受け入れようとするのか、それとも、西洋的な自然観に立って、死の直前まで、老・病・死と闘おうとするのか、によってかなり違ってくると思う。セバスチャン・ クナイプはキリスト教の神父であるからして後者に立っているように思えるのだが、自然の恵みを大切にする点では東洋的・仏教的であるようにも思える。このあたりも原典にあたってみないと何とも言えない。

【思ったこと】
_70611(月)[心理]人間・植物関係学会2007年大会(3)自然のもたらす心の癒し〜病跡学的視点から〜(1)

 6月2日午後に行われた基調講演の2番目は、大森健一氏(獨協医科大学名誉教授・滝澤病院) による、

●自然のもたらす心の癒し〜病跡学的視点から〜 俳人種田山頭火の場合

というテーマのお話であった(学会サイトの案内では「人から見た日本の風土」というテーマが予告されていたが、実際には山頭火を中心とした内容であった)。

 講演者の大森氏は東京医科歯科大学医学部卒業、獨協医科大学学長、獨協学園理事長、日本芸術療法学会理事長等を歴任されている。芸術療法学会については詳しいことは分からないのだが、ネット上の情報によれば、1969年に設立、2006年現在の会員数は991名、平成17年に日本芸術療法学会認定・芸術療法士制度を発足させているようだ。主な芸術療法としては、絵画療法と音楽療法が頭に浮かぶが、音楽療法に関しては2001年に日本音楽療法学会が別に作られている。園芸療法も、定義の仕方や、意義づけの内容によっては、芸術療法の一部に含まれる部分がある。

 次にタイトルにある「病跡学」だが、これまた、日本病跡学会というのができていて、大森氏も理事にお名前をつらねておられるようだ。当該学会サイトの中の、病跡学とはには
病跡学とは、宮本忠雄氏によれば「精神的に傑出した歴史的人物の精神医学的伝記やその系統的研究をさす」、福島章氏によれば「簡単にいうと、精神医学や心理学の知識をつかって、天才の個性と創造性を研究しようというもの」です。...【以下略】
という紹介記事がある。

 病跡学が我が国で始められた当初は、
  • 病跡学は精神科医の趣味、遊び
  • 現役を退くと病跡学をやりたがる
  • 臨床とは関係ない
  • 真の医学ではない
  • 絵を描いて精神病が治るなら、画家は病気にならない
というような世評があったという(発表スライドからの引用)。しかしその後、研究は着実に発展し、
  • 病跡学は転載の診断にとどまるものではない
  • 創造活動と精神障害の相互関連を示唆する
  • 精神科臨床への還元・診断、治療への示唆
  • 個別的研究から精神病理の相対的考察へ
  • 創造の秘密を鍵に学際的交流
  • 芸術療法、創造の癒しと病跡学の相互理解と相互深化
といった意義が認められるようになってきたという(発表スライドからの引用)。

 ちなみに「絵を描いて精神病が治るなら、画家は病気にならない」という揶揄は、
  • 音楽療法で病気が治るなら、音楽家は病気にならない。
  • 心理療法で病気が治るなら、心理学者は病気にならない。
  • 医学で病気が治るなら、医者は病気にならない。
というようにいくらでも置き換えが可能である。いずれも、かなり屁理屈に近い乱暴な揶揄ではあるけれど、見方を変えれば、「○○で病気が直るなら、○○の専門家は病気にならないはずだ」という論理がなぜ間違っているのか、分析する必要があるようにも思う。

 ちなみに、芸術には病気を治す力もあるが、逆に病気を重くする場合もあるという。また、私個人としては、そもそも何をもって「病気」とするのかについて、もう少し慎重な議論が必要なのでないかという気もした(2005年9月22日の日記参照)。

【思ったこと】
_70612(火)[心理]人間・植物関係学会2007年大会(4)自然のもたらす心の癒し〜病跡学的視点から〜(2)

 大森健一氏(獨協医科大学名誉教授・滝澤病院) による、

●自然のもたらす心の癒し〜病跡学的視点から〜 俳人種田山頭火の場合

という基調講演のメモ・感想の2回目。

 講演では、病跡学の概要に引き続いて、種田山頭火(1882〜1940)の略歴が紹介された。その内容はウィキペディアの当該項目にほぼ等しい。若干補足すると、11歳の時の母親の自殺は、井戸への投身であると言われているが、最近では、首つりであったという説もあるという。いずれにせよ、山頭火はそのすぐ近くで遊んでいて、母親の遺体が運び出されるところを目撃したという。そのショックがのちの人生に大きな影響を与えることになった。また、ウィキペディアの「生活苦から自殺未遂をおこしたところを市内の報恩禅寺(千体佛)住職・望月義庵に助けられ寺男となる。」という部分については、今回の講演では、「酒に酔い進行中の電車の前に仁王立ちする。」となっていて、「生活苦による自殺未遂」かどうかについては言及されなかった。

 山頭火の作品の一部は青空文庫で閲覧することができる。

 山頭火は、早稲田大学に入学するも、「神経衰弱」のため2年後に退学。41歳の時にも、「神経衰弱症」のため一橋図書館を退職している。その間、結婚、長男誕生、種田家破産、弟の自殺、離婚など数々の波乱があった。妻とは離婚しているが、関東大震災後には妻の実家に身を寄せており、自身の故郷である山口県防府市と、妻の住んでいた熊本市横手町の安国禅寺の2箇所に墓があるそうだ。

 病跡学的にみると山頭火は、心身疲労感や不眠、そのことを紛らわすためのアルコール依存の症状があり「内因反応性気分失調症 endo-reactive dysthmie←内因性うつ病や喪失うつ病とは異なる)」及び「アルコール嗜癖」という診断になるというが、引きこもりにならず放浪の旅に出るなど典型的症状とは異なる特徴もあるらしい(←長谷川のメモのため不確か)。彼の人生と創作活動のカギは、一体化の希求にあるという。一体化には人との一体化、自然との一体化がある。人との一体化は依存・甘えをもたらし、またそれが叶わないと、失望、喪失感、自己嫌悪、罪悪感、抑うつ状態mさらには自殺念慮をもたらす。一体化できない苦しみについて山頭火は、『砕けた瓦』(大正3年)の中で、「家庭は牢獄だとは思わないが、家庭は砂漠であると思わざるを得ない。...」と述べているという。

 そうした苦しみを背負った山頭火は、俳句や日誌という創造の世界、句友や妻子、行乞放浪と定住、自然との一体化、酒などに救いを求めた。特に自然との一体化と癒しは、種々の作品の中に表れているという。




 今回の講演のキーワードの1つである「一体化の希求」は「個別化願望」を対極とする専門用語のようであったが、私は精神科領域のことは全く素人であるため、それが、どのような理論をなしているのか、それによって何が説明できるのか、治療にどう貢献するのかについてはよく分からなかった。

 素朴に考えた場合、一口に「一体化」と言っても、「人との一体化」と「自然との一体化」では全く別物であるように思われる。「人との一体化希求」は通常、他者への依存、あるいは共依存に陥る一方、孤独や孤立を恐れる傾向をもたらす。いっぽう、「自然との一体化」のほうは、傍目には孤独を好むようにも見える。但し、自然と能動的・積極的に関わろうとする一体化(例えば、日々、農作業、園芸作業、自然探索、登山、その他、各種ネイチャリングなど...)もあれば、静かに自然に向き合って悟りの境地を開くという一体化もある。おそらく、一体化か個別化という一次元ではなく、「一体化か個別化か」と「能動的か受容的か」という2次元直交軸の中で捉えていくべきものであるように思う。

【思ったこと】
_70613(水)[心理]人間・植物関係学会2007年大会(5)口頭発表の感想

 2007年大会では、6月2日の10時から、6月3日の17時10分まで31件の口頭発表(一部、ポスター発表併用)が行われた。昨年度の大会の発表件数は23件であったので、かなりの増加と言える。この大会は、すべての発表を聴くことができるよう一会場主義(=複数会場で同時進行しない)ことを原則としているが、これ以上件数が増えると2日間の日程では困難となる。1人1発表を鉄則とするか、一部はポスターに切り替えるなどの対策が必要になってくるだろう。

 ちなみに昨年度の大会の時は、私自身が実行委員長をつとめていたので、個々の口頭発表を拝聴する時間的余裕は全く無かった。口頭発表を直接聴くというのは、2005年・山形大会以来、2年ぶりということになる。




 心理学関係学会の発表と異なり、この学会の発表者は、出身学部、現在の御所属などがきわめて多種多様であり、よく言えば学際的、悪く言えば、玉石混淆と言わざるを得ない面がある。

 心理学を専門とする立場から言わせてもらえば、まず、アンケート調査の結果を各カテゴリーに分けて頻度別にグラフで比較する、といったたぐいの発表は、殆ど、情報的価値が無いように思われる。全数調査ならともかく、特定集団だけを対象に調べたところで、サンプルに偏りが出てくるのは必然であろう。100個のサンプルがあれば、合計100回の発表ができるわけだが、それらを比較して、あれが多い、これは少ないなどと言ってみても一般性のある結論は引き出せないように思う。

 園芸活動の効果を検証する、という研究スタイルについては、以前にも言及したことがあるが、
  • どのくらいの期間で効果を検証するのか
  • どういう手段で検証するのか
がカギとなる。その際の検証につきまとう困難性は、被験者(調査対象者)にとって、園芸活動は日常生活のごく一部にすぎないという点であろう。原理的には、園芸活動を実施する実験条件と実施しない対照条件の個体間比較、もしくは、園芸活動を開始する前と開始後における種々の指標変化についての個体内比較(単一事例実験)によって効果の検証は可能であるはずなんだが、実際には、被験者は、日常の基本的活動のほか、園芸以外のさまざまなアクティビティに参加している。そういう現実の中で、毎月1回程度の園芸活動の効果を測ろうとしても限界があるのは必然。

 園芸療法に関する研究としては、これからは「効果の検証」より「価値の創造」に重点を置き、「価値の創造」を可能にするようなテクニカルな面での工夫に取り組む必要があるのではないかと考えている。要するに、「植物と関わるのは良いことであり、治療の手段ではなくむしろ、それ自体が目的となる」という前提のもとで、さまざまな領域から、価値創造のサポートに取り組むのである。

 例えば、認知症のお年寄りが園芸活動に従事するにあたって、花壇(あるいは温室、プランター)にどのような工夫をすれば、容易に参加できるようになるのか、といった問題。行動分析学が取り組めるとしたら、園芸活動という行動に対して、どうすれば自然な形で好子(強化子)を随伴させることができるか、といった課題が考えられる。




 このほか、今回の大会では、「街角の植物とのacquaintanceship」を哲学的に省察されるというユニークな研究もあった。この学会はどちらかというと、農学部や、医療系(医学、看護、作業療法、理学療法)の出身の方の発表が多いのだが、哲学、文学、文化人類学などからの発表がもっと増えると、学際的交流が深まってよろしいのではないかと思う。なお、「街角の植物とのacquaintanceship」のご発表に関しては、質疑の時間に、次回はぜひ東洋哲学の視点からのご省察をお願いしたいとの要望を出させていただいた。