私の子どもの頃の写真をスキャナで再生しながら、当時の想い出を語りたいと思います。
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1923年の関東大震災では外郭を残して焼け落ちたが、横河民輔により改修され、翌1924年に再開した。1930年松竹の経営となり、間もなく洋画封切館に転向。SYチェーン(松竹洋画系)の基幹劇場となった。1939年、運営会社を東宝が合併し、翌1940年松竹の賃借期限が切れると共に東宝の手により元の演劇主体の興行形態に戻す。しかし1955年、舞台に巨大映画スクリーン・シネラマが設置され、再びシネラマ主体の洋画ロードショー用の映画館に転じたが、1964年から翌年にかけての『アラビアのロレンス』を最後に解体。谷口吉郎の設計で新たに現在の帝国劇場が1966年9月29日に落成した。と記されてあった。ちょうど「巨大映画スクリーン・シネラマが設置され」てから2年目の年末映画の鑑賞であったようだ。当時はカラーテレビはなく、また当時は海外旅行が解禁されていなかったので、「世界の七不思議」なるものを巨大スクリーンで観ることは貴重な体験になったものと思う。
ハチの銅像は第二次世界大戦中に金属資源不足により供出され、現在のものは1948年8月に再建されたものである。...再建当時は駅前広場の中央に鎮座し北を向いていたが、1989年5月に駅前広場が拡張された際に場所移動し、同時に東(ハチ公口方向)向きに修正された。となっている。確かに、写真のハチ公は、東横デパートを背に北方向を向いている。
京王電鉄京王多摩川駅付近に1955年4月3日にオープン。1959年にはプールも開設され多くの客で賑わった。京王相模原線延伸のため閉鎖後は京王テニスクラブとなって現在に至っている。という短い記述のみがあった。ネットで掲載したところ、京王多摩川駅周辺にかつて遊園地が存在していたことをご存知でしょうか。という記事もあった。この付近には京王フローラルガーデン(アンジェ)があり今年の春に2回ほど訪れたことがあるのだが(※)、そのすぐ近くに、50年前にすぐ近くにあった遊園地で遊んだという記憶は全く蘇らなかった。