じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
§§ |
4月8日の入学式や新学期ガイダンスに続いて、4月9日からは1限目からさっそく授業が開始された。写真上は、朝の通学風景。アネモネやチューリップの花が歓迎している。写真下2枚は、文法経講義棟前の駐輪風景。いまのところ、駐輪場のスペースは足りているようだ。 |
【小さな話題】 新年度は、毎日10作業遂行で 4月10日締め切りの原稿を何とか完成。今週からはいよいよ授業が始まる。原稿執筆時はどうしても不規則な生活になりがちであったが、これから夏休みまでは、授業や管理運営業務中心の長丁場となる。雑用に追われているとあっという間に過ぎてしまいそうだし、無理をすると健康を害する恐れがある。 そこで、新年度は、毎日10個のセルのついたカレンダーを作成し、夜までに、その空白に作業内容を埋めていくことにした。ここでいう作業は、授業、授業準備、会議などのほか、文献読了、報告書提出、書類シュレッダー廃棄1箱分、未整理保管箱1箱、などを含むが、すでに日課の中に組み込まれていて改めて記録に残す必要のないWeb日記執筆や、朝食前と夕食後の散歩などは除外している。 サッチャー元英首相死去とサッチャー錯視 各種報道によれば、「鉄の女」と呼ばれ、国営企業の民営化などで内外の保守派に 影響を与えたマーガレット・サッチャー元英首相が8日午前、脳卒中で死去した。87歳。 NHKオンラインニュース(4月8日 21時36分)によるよれば、サッチャー元首相はイギリス中東部グランサムの出身で、オックスフォード大学を卒業したあと、1959年に保守党から下院議員に初当選。1975年には保守党党首となり、1979年の総選挙で、「小さな政府」への転換やイギリス経済の復活を公約に掲げて政権交代を実現し、イギリスで初めての女性の首相に就任した。在任中は一貫して市場経済を重視する政策をとり、国有企業の民営化を進めたほか、減税や金融の規制緩和を行い、「英国病」とも言われたイギリス経済の活性化に道筋をつけたとされている。また、東西冷戦が続くなか、当時のアメリカのレーガン大統領と共に反共産主義の立場をとったほか、1982年には南大西洋のフォークランド諸島の領有権を巡って対立したアルゼンチンを軍事力で屈服させ、その強硬な政治姿勢から「鉄の女」とも呼ばれた。しかし、ヨーロッパの統合に対して距離を置く政治姿勢が政府内や保守党内からの反発を招き、1990年、辞任に追い込まれた。 1975年〜80年頃と言えば、ちょうど私は大学院生の頃であり、東西冷戦の続く激動の時代であった。首相在任中はあまり良い印象は受けなかったが、よくあそこまでイギリスを復活させたとは思う。また、ヨーロッパの統合に対して距離を置く政治姿勢は、今となってはかえって正解であったという気もする。 心理学でサッチャーさんというと、サッチャー錯視が真っ先に浮かんでしまう。(ウィキペディアの解説はこちら)。 なぜ、「サッチャー」と名付けられたのかと不思議に思っていたが、ウィキペディアによれば、この錯視はヨーク大学のピーター・トンプソンにより作成され(Thompson, 1980)、彼女の写真を用いたとき錯視が顕著にあらわれたことによるものであるらしい。著名な首相ということで、肖像権上の制約が少なかったのかもしれないが、ご当人は、そのことをどう思っておられたのだろうか。 |