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4月25日の夜、NHK-BSにチャンネルを合わせたところ阪神・巨人戦をやっていた。すぐに目に付いたのは巨人の選手の帽子に見慣れないTGマークがついていたことだ。私が子どもの時から巨人と言えばYG、阪神と言えばTHマークとなっており、巨人のTGを見たのは人生70年+αで初めてであった。さっそくウィキペディアを閲覧したところ、『TGマーク』は2024年の球団創立90周年を迎えるにあたり、ビジターとして試合を行う場合に限って使用されることになったとのこと。『TG』の由来となる『東京ジャイアンツ』という名称については、ウィキペディアには以下のような記述があった。
そう言えば、私自身は、「プロ野球観戦界」からの「引退」を表明して以来、プロ野球中継は殆ど観なくなった。2024年から使用されているという『TGマーク』を2025年になって初めて見たということは、いかに野球中継に無関心になったのかを証拠づけているとも言える。じっさい、各球団の監督のお名前は誰一人存じ上げていないし、代表的な打者や投手の名前を挙げろと言われても全く浮かんでこない。 『TGマーク』は球団創立90周年を記念して登場したようであるが、球団創立100周年の2034年にはどうなるのだろうか? 大手新聞社の発行部数が激減していることと、私が子どもの頃の「巨人大鵬玉子焼き」時代に比べるとジャイアンツ人気が相対的に低下していることをみると、それほど遠くない時期に読売新聞社がプロ野球から撤退し、必然的に『YG』の「Y」が消滅するという可能性がかなり高いのではないかと思われる【←将棋タイトル戦への新聞社の後援も同様】。 |
【小さな話題】TIME 果てしなき時間の旅(4)『自然の時間』と『人為的な時間』、時間に支配される現代社会 昨日に続いて4月4日にNHK-BSで放送された表記の番組についてのメモと感想。 放送では「現代社会における体内時計のズレ」に続いて、まだ時間という概念が無かった頃の時代に遡って、時間と人類との関わりが解説された【以下、要約・改変あり】。
時代が進むと『人為的な時間』が誕生した【要約・改変あり】。
何百年ものあいだ『自然の時間』と『人為的な時間』は共存していたが、13世紀になるとより『人為的な時間』に傾き始めた。
ここでいったん私の感想・考察を述べるが、まず、ここまでの放送内容がもっぱら西洋と中国の話題であったことが若干気になった。これはこの番組の元の制作者が西洋と中国に取材を限定していたたためと考えられる。鉄道の発着が最も正確と言われる日本を取材していればもっと面白い内容になっていたはずで残念であった。コメントも西洋の哲学者や社会学者ばかりでなく、例えば、時間論や自由論で知られる哲学者・内山節さんが登場していればもっと深められたはず。ま、日本独自に別番組を作ったほうが良さそうではあるが。 前回までの日記で指摘してきたように、時刻と時間は異なっている。このうち産業革命以降の社会で特に重視されたのは『時刻』であったと考えられる。分業を効率よく進めるには開始時刻の時計合わせが不可欠。鉄道の単線区間で正面衝突を避けるためには通過時刻を正確にそろえておく必要がある。もちろん分業の各工程で、「一定時刻までに作業を終える」というのは「開始時に時計合わせをした上で一定時間内に作業を終える」ということと同義にはなっている。 もっとも「待つ」という意味を考えると、時刻を待つ場合と時間を待つ場合では異なる場合がありそうだ。例えば、
放送では産業労働により人々が時間に支配されるようになったと論じられていたが、これらはもっぱら「時間に追われる」という面であった。そのいっぽう「待たされる」というのも大きなストレスにはなりうる。もちろん、狩猟の時代には獲物の出現を待つ、農業では収穫を待つ、というように、待つということは生存上不可欠ではあった。しかし、大昔には「待つ」ことはそのまま「期待」に繋がったのに対して、現代社会では単に待たされているだけになってしまった。「バスを待つ」と言ってもバスの出現を期待しているわけではないし、病院の待合室で長時間待たされている時に診療を期待しているわけではない。こうした待ち時間のストレスについても検討する必要があるように思った。 次回に続く。 |