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Copyright(C)長谷川芳典 |
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連休中、吉備津神社に孫たちの七五三参りに行った。この神社の駐車場は『ナンバープレートカメラ認識システム駐車場』となっていたが、スーパーへの買い物以外には滅多に車を利用しない私にとって、このような駐車場を利用したのは人生初となる【近隣にロック板・精算ゲートが無い駐車場がいくつかあることは知っていた】。 |
【連載】チコちゃんに叱られる! なぜ日曜日は休み? 六斎日、六曜、世界暦 10月31日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
日曜日が休みになった理由については、
ここからは私の感想・考察を述べる。 まず冒頭で述べたように、日曜日休みの由来は
旧約聖書の『創世記』で啓典の神が天地創造の7日目に休息を取ったことに由来し、何も行ってはならないと定められた日とされている。週の7日目と定められており、土曜日にあたる。旧約聖書の1日は、基本的に日没で区切るので、「土曜日」というのは深夜を一日の始まりとする現代の時法でいえば金曜日の日没から土曜日の日没までの間を言う。バビロニアの七曜制や他言語の土曜日を表す単語がシャバットに似ていることにも類似性がみられる。にあるように、当初は日曜日は休みではなかった。引用を続けると以下のようになる。 旧約聖書によると安息日は土曜日であったが、キリスト教における重要な事項である「イエス・キリストの復活[2]」「復活したキリストが弟子たちに現れた日[3]」「聖霊降臨(ペンテコステ)」が起こった日は、すべて「週の初めの日」すなわち日曜日である。このためヨハネの黙示録1章10節の「主の日」に基づき、キリストの復活を記念し、復活の日である日曜日を「主日」(または「主の日」「聖日」)と呼び、礼拝を行うようになった。また、主日を特に記念して聖餐式を行ったのはキリスト教のごく初期からのことである。 放送では日本ではもともと六斎市由来の『一六ノ日休み』が定着していた解説されたが、私はむしろ『六曜』が影響しているように思えた。もっとも、リンク先によれば、 日本における「六曜」という言葉の初見は元禄9年(1696年)の『六曜私』(妙法院)とみられる。現在の六曜との関係は明確でないが、本書中には「先勝」「友引」「先負」という言葉が現れるほか、神仏名が多く見られ神仏習合の色彩が濃い。とのことで、日本では六曜よりも六斎日の習慣のほうが古くから定着していたようだ。 六斎日であれ六曜であれ、太陰暦で生活していた時代は1か月が30日であったため、その約数である6日で区切ればカレンダー無しでもいつが休みで市が開かれるかということがすぐに分かるようになっていた。太陽暦導入後は日にちと曜日(七曜あるいは六曜)との対応関係が無くなり、カレンダーを見なければ休日の計画が立てられなくなりその面では不便になってしまった。 子どもの頃に読んだ科学本には世界暦というのが紹介されていたが、何十年経っても現行のグレゴリオ暦を改正する動きは見られないようだ。 次回に続く。 |