BR>【連載】チコちゃんに叱られる! ジングルベルのソリは馬がひいているぞ/サンタのトナカイの赤鼻は『道路運送車両の保安基準の細目を定める告示)第244条』違反かも
12月19日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察【岡山では19日は別番組。20日朝のみ放送】。この日は、
- サンタさんのトナカイが赤鼻なのはなぜ?
- 人はなぜスポーツを見る?
- 霧吹きで霧が出てくるのはなぜ?
という3つの話題が取り上げられた。本日はそのうちの1.について考察する。
さて1.の疑問だが、以前にも似たような話題が取り上げられたのではないかと思いチェックしたところ、昨年のクリスマスネタで、
●2024年12月21日:「ジングルベル」のベルってなんのベル?
が取り上げられていたことが分かった。
余談だが、ジングルベルのソリを引っ張っているのは馬であってトナカイではない。歌詞にちゃんとhorseと書かれてある。
Jingle bells, jingle bells, jingle all the way!
Oh what fun it is to ride in a one-horse open sleigh.
このほか、
●サンタクロースはなぜ赤い服?
という話題も取り上げたことがあったはずだが、過去日記をザッと検索した限りでは見つからなかった【←聖ニコラウスの司祭服説と、コカ・コーラ社が1931年のクリスマスシーズンの広告キャンペーンで、赤い服を着たサンタクロースのイメージを大々的に使用したことなどが大きい要因とされている。】
元の話題に戻るが、放送では正解は「むちゃぶりされた男が夜に霧を見たから」が正解であると説明された。キャラクター・マーケッティングに詳しい増谷博昭さん(京都橘大学)&ナレーションによる解説は以下の通り。
- トナカイの鼻は実際は赤くない。
- 今からおよそ85年前、ロバート・メイが書いた物語『ルドルフ赤鼻のトナカイ』がきっかけ。
- ニューヨークでコピーライターとして働いていたロバート・メイ(1905-1976)は1925年の世界恐慌をきっかけに職を失い多額の借金を背負うことになった。
- ロバートはシカゴに移り住み、モンゴメリー・ワードというデパートでカタログの商品説明を書くコピーライターになった。
- 放送ではそのあと『NHKたぶんこうじゃなかったんじゃないか劇場』で赤鼻トナカイ誕生の経緯が演じられたが、タイトルからみてもどこまで史実を反映しているのかどうかは疑わしい【エンタメ番組としては十分価値があるが】。
ということでいったん放送内容から離れて、ウィキペディアのほうから関連部分を引用させていただく【要約・改変あり】。
- メイは、ニューヨーク州ニューロシェルで、裕福で世俗的なユダヤ人家庭に育った。
- メイの両親は、1929年の世界恐慌で大きな打撃を受け、財産を失った。
- 1930年代のいずれかの時点で、メイはシカゴへ移り住み、低賃金の広告コピーライターとしてモンゴメリー・ワード(英語版)の社員となった。
- 1939年はじめ、モンゴメリー・ワードの上司が、買い物客のために「陽気な (cheery)」クリスマスの本を書くようメイに依頼し、その本の主人公を動物にすることを提案した。
- 当時モンゴメリー・ワードは、毎年塗り絵の絵本を仕入れて、クリスマス時期の買い物客のために無料で配っていたが、自前で本を作れば節約もでき、また会社の善意を表す行いにもなるだろうと判断されたのであった。
- メイがこの仕事に取りかかった1939年はじめ、メイの妻で、やはりユダヤ人であったエヴリン (Evelyn) は、1937年に見つかった癌の病状が深刻になっていた。メイは、「自分の、痛ましいまでに引っ込み思案だった少年期の記憶を踏まえて、ルドルフの話を創造した」という。
- メイは鹿 (deer) を主人公に据えて話を書こうと考えたが、これは当時4歳だった娘のバーバラ (Barbara) がシカゴ動物園(英語版)の鹿が大好きだったからであった。メイは、ルドルフの話を少しずつバーバラに読み聞かせ、その言葉が子どもたちを間違いなく喜ばせることを確認していった。完成したルドルフの詩の最終版は、バーバラと、妻の両親に、最初に読み聞かされた。
- イヴリン・メイは、1939年7月に死去した。彼女はイリノイ州クック郡リバーグローブ(英語版)のセント・ジョセフ墓地 に埋葬された[5]。メイの妻の死去を受け、上司は絵本づくりの仕事を他の者にさせようかとメイに言ったが、メイはそれを断り、1939年8月に詩を完成させた。
- ルドルフの詩を載せた小冊子が最初に配布されたのは、その年のクリスマス休暇の時期であった。買い物客たちはこの詩を気に入り、配布された部数は240万部に達した。
- 戦時下における用紙統制のために、その後は小冊子の作成ができなかったが、1946年には再発行され、360万部がモンゴメリー・ワードの買い物客に配布された[1]
- 1946年、メイは、ある会社から、この詩を朗読したレコードを出したいというオファーを受けた。しかし、この詩の権利はモンゴメリー・ワードが保有していたため、メイは詩の使用に承認を与えることも、その対価を受け取ることもできなかった。
- 1946年末から1947年はじめのいずれかの時点で、モンゴメリー・ワードの社長は、この詩の権利をメイに無償かつ全面的に与えた。詩のレコードは大きな売上をあげた。
- 1947年、ニューヨークの小さな出版社 Maxton Publishers の社長ハリー・エルバウム (Harry Elbaum) は、ルドルフの詩を載せた本を出版してみることにした。他の出版社は、何百万部も無料で配られている内容を出版しても売れる見込みはないと思っていた。しかし、この本はベストセラーとなった。
- 1948年、メイの義理の兄弟にあたるジョニー・マークスが、ルドルフの詩に基づいて作詞作曲した歌を書いた。この歌は、ビング・クロスビーやダイナ・ショアに提示されたが取り上げられず、「歌うカウボーイ (the singing cowboy)」として知られていたジーン・オートリーが吹き込んだ。この曲「赤鼻のトナカイ (Rudolph, the Red-Nosed Reindeer)」は、1949年にリリースされて大ヒット曲となり、クリスマスソングの中でも、「ホワイト・クリスマス」に次いでレコード売上の多い曲となった。
以上のウィキペディアでは「夜に霧を見た」話は出てこない。放送では、以下のように説明されていた【要約・改変あり】。
- ロバートが住んでいたミシガン湖周辺では夜に霧が立ちこめており、その中に車の赤いライトが見えていた。
- この光景からロバートは暗闇を行くトナカイにライトのようなものが付いていればソリをひくのも安全になると思いつき、鼻を赤く照らすトナカイというキャラクターを考案した。
- 赤鼻という理由で仲間外れにされていたトナカイのルドルフのもとへサンタクロースがやって来て、トナカイのリーダー役としてスカウトされ大活躍するというストーリーを作り上げた。
- ロバートは、人生の負け犬だった自分と『赤鼻のトナカイ』を重ね合わせ、自分にとってネガティブな部分もいつか誰かを救う武器になるというメッセージを伝えたかったと語っている。
『赤鼻のトナカイ』の歌はよく知られているが、オリジナルでも日本語(訳詞 新田宣夫)でも歌詞は1番だけで短いものであった。確か1番のあとに「今夜はクリスマスイブ」という挿入があり、1番をもう一度歌うようになっていたと記憶しているのだが、ざっと検索した限りでは見つからなかった。
余談だが、日本の法令(道路運送車両の保安基準の細目を定める告示)第244条では、
(前照灯)
前照灯の灯光の色、明るさ等に関し、保安基準第 条第2項の告示で定める第 条244 62
基準は、次の各号に掲げる基準とする。
一 前照灯は、夜間前方 (最高速度 以上の第二種原動機付自転車に備える15m 20km/h
、 ) 。ものにあっては の距離にある交通上の障害物を確認できる性能を有すること50m
二 前照灯の照射光線は、原動機付自転車の進行方向を正射するものであり、その主光
軸は、下向きであること。
三 前照灯の灯光の色は、白色又は淡黄色であり、そのすべてが同一であること。
と定められており、また道路運送車両法に基づく保安基準により、尾灯の灯火は赤色と決められている。
なので、赤い鼻で道路を照らして道を進むことは違反となる。
次回に続く。
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