じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
お盆休みに訪れたトルクメニスタン、ウズベキスタンのアルバムはすでにこちらに掲載済みであるが、民放の「ありえへん∞世界スペシャル」などで興味本位に取り上げられていることもあって、相変わらず、いくつかの部分が誇大に伝えられているようにも思える。 そんななか、毎日新聞9月2日発信記事で、 首都アシガバート各地には大統領の巨大な写真が掲げられている。夕方を迎えた市中心部では、運動着の若者たちがイスラム教の象徴である緑色に塗られた「おそろいの自転車」をこいでいた。9月1日に「自転車マラソン」が開かれたことから直前の練習に励んでいたのだという。という話題が取り上げられていた。 確かに、現地のテレビ放送では自転車奨励キャンペーンのようなものをやっていたが【写真上】、私がアシガバート市内で見た唯一の自転車は、世界一周中の外国人の方【写真上から2番目】の1台のみであり、街中で若者が自転車をこいでいるようすは一度も目撃しなかった。 けっきょく、トルクメニスタンで、現地の人が実際に自転車に乗っていたのは、ダムラ村の子どもたちのみ【写真上から3番目】。バザールでの買い物は、みな自家用車を利用しているようであった【写真いちばん下】。 あと、「ありえへん∞世界スペシャル」に「記念写真を勝手に撮ることもできないという。」と書かれてあったが、撮影できないのは、一部の宗教施設内部、軍施設、兵士、検問所程度であって、この程度の規制は、私が訪れた限りで言えば、ウズベキスタン、中国、トルコ、ロシア、イラン、エチオピアなどどこへ行っても共通しており、トルクメニスタンだけが特に厳しいという印象は全く受けなかった。じっさい私は、トルクメニスタン国内で2000枚の写真を撮っている。このほかの「ウソホント」についてはこちらの記事を参照されたい。 |
【思ったこと】 130915(日)高齢者における選択のパラドックス〜「選択の技術」は高齢者にも通用するか?(20)選択と後悔(14)反事実思考(3)機会費用 昨日の続き。 第七章では、反事実思考(反事実的思考、反実仮想)と「機会費用(opportunity cost)」の関係が取り上げられていた。ウィキペディアでは、機会費用は 選択されなかった選択肢のうちで最善の価値のことである。法学では、逸失利益とも呼ばれる。と定義されており、シュワルツの本では第六章のほうで詳しく解説されている。 ウィキペディアによれば、「経済学上の費用とは、会計学上の費用に機会費用を足したものとなる。」という。例えば、私自身も大学院進学の直前、大手一流企業に就職するチャンスがあった。この場合、大学院に進学するという選択の費用は、会計学上は入学金と授業料だけであるが、大学院に行かずに就職していた場合は、その期間に給与収入があったはずで、収入の損得だけを考えるのであれば、そういう機会費用も考慮した上で、就職するか、進学するかという選択をするべきであったとも言える。 機会費用について綿密な試算をすることは、選択をする前であればきわめて有益であろう。しかし、すでに選択してしまったあとから、あれやこれやと反事実思考にはまっていても何らメリットはない。なお、シュワルツは、選択肢のオプションが多ければ多いほど、機会費用に関わる反事実思考も膨らむと述べていたが、私はあまり関係が無いのではないかと思っている。選択肢が少なかったとしても(仮に1つだけであったとしても)、それが選択可能でより現実的であったとすれば、機会費用についての反事実思考は増していくはずである。選択肢がいくらたくさんあっても、それらが排他的(どれか1つしか選択できない)であるなら、「選択されなかった選択肢のうちで最善の価値」という定義から言っても、いちばん多かったであろう価値が機会費用になるはずである。 なお、上掲の私の例で言えば、私は、5年間の大学院修了後もなかなか専任職に就くことができず、その後33歳まで、非常勤講師などのアルバイトで生計を立てていた。よって、結果としての機会費用は相当な額であったと反事実思考できる。また、単位取得退学後5年以内に指定教育職に就けなかったため、在学中に受け取った奨学金は全学返済となった。さらに、在学中は国民健康保険料を払っていなかったため(当時は義務ではなかった)、国民基礎年金の受給額は1/4程度減額されている。もっとも、非常勤講師だけで生計を立てていた時代は、けっこう自由に旅行ができていた。専任職に就くまでのあいだに、北海道のユースホステルには合計200泊以上したし、ヒマラヤトレッキングやキリマンジャロ登山などにも出かけることができた。大手一流企業に就職していたらそんなことはゼッタイにできなかったわけだから、金銭的な機会費用だけで過去を評価することはできない。なので、33歳まで専任職に就けなかったことに関しては、私は全く後悔していない。 次回に続く。 |