【思ったこと】 130928(土)「しなければならない」を解消する方法
9月25日の続き。日常生活の中で重荷に感じる事柄の1つに、「○○しなければならない」という義務的な行動がある。これについては、以前、こちらの論文で詳しく述べたことがある。要するに、「○○しなければならない」には
- 「○○しないと嫌子が出現するのでそれを阻止するための行動をしなければならない」=嫌子出現阻止の随伴性
- 「○○しないと好子が消失するのでそれを阻止するための行動をしなければならない」=好子消失阻止の随伴性
という阻止の随伴性によって行動させられている状況である。もっとも、「○○しないと嫌子が出現する」とか「○○しないと好子が消失する」というのは予想のようなものであって直接効果的ではない。通常は、そういう「予想」(ルール支配行動)が不安(=嫌子)を煽り、その嫌子をなくそうとする「嫌子消失の随伴性」によってその行動は強化されている。であるからして、義務的な行動を持続させるためには、関与する嫌子あるいは好子に対する確立操作を強める必要がある。例えば、大地震に備える行動を強化するためには、映像や体験談を繰り返し伝えることで「大地震=嫌子」という確立操作を行う必要がある。また、「受験勉強しないと入試で不合格になる(好子消失)」という阻止の随伴性で受験勉強を強化するためには、好子として想定されている志望大学の魅力、入学後の学生生活が強い好子になるような確立操作が必要である。
我々が生きていくためには、「しなければならない」行動は不可欠であり、また、そういう随伴性が働かないと、大きな目標を達成したり、積み重ねによる成果を獲得することができない。しかし、あまりにもそのしがらみが強すぎると、日々の生活は窮屈になり、ついには、すべてを投げ出して逃避生活に転じることにもなりかねない。
では「しなければならない」が過重にのしかかっている時はどうすればよいのか。それにはまず、その義務的随伴性のタイプを見極める必要がある。
- 生活の基本を支えるために低賃金の労働にあけくれている場合。この場合は、行動マネジメントではどうすることもできない。政治や福祉の力に委ねるほかはない。
- 日常生活に必要な諸行動を義務的に感じる場合、例えば早起きが面倒、食事の支度が面倒、洗濯が面倒、...といった場合。この時の対応策としては、
- 生活に必要な諸動作を、生きるための有意義な行動として意味づけ儀式化する。
- 生活に必要な諸動作が一定の流れで継時的に生じるように、自動的に起こるようにする。
- 大きすぎる目標を立てず、日々の実践・達成サイクルを重視する。大きな目標を立てると、それを実現するための手段的行動が入れ子構造型で設定される。手段的行動は基本的に、「これをしないと目標が達成できない(=好子消失)」という阻止の随伴性で義務的に強化される。それが負担になりすぎる時は、目標を撤回するか、もう少し小さな目標に取り替えてみる。何も目標の無いというのでは、日々の生活は刹那的で単純作業の反復だけに終わってしまって空しくなるが、かといって、毎日、手段的行動に振り回されて突然死というのも儚いものだ。その人の年齢にもよるが、若い時は「大志を抱き」、高齢になってきたら、その日のできる範囲での小目標を立てて実行、達成していったほうが充実する。
- 社会的なしがらみを減らす。社会貢献を重視する余りにいろいろな役回りを引き受けるとそれに振り回されて自分を見失う。それでよしとする人は構わないが、負担に感じるようであれば、早めに、ソフトランディング型の離脱を探るべきであろう。(←ソフトランディングというのは、少しずつ、役回りを減らして交代していくという意味。突然の辞任や引退表明は周囲に迷惑をかけやすい。)
|