じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 「大型で強い」と形容されている台風26号は10月16日06時現在、三宅島の東約60kmにあり、時速60kmで北東に向かっているという。この台風は、八丈島を通過したあたりでいったん向きを北寄りに変え東京直撃が心配されたが、その後再び北東に方向転換し、東京直撃は回避された【写真左端参照】。この「北東→北→北東」というワープのような経路がどうして起こったのかは大きな謎である。大型台風であったため、中心自体が移動したという可能性、もしくは、中心の最低気圧部分がお盆のようになっていて、観測の途中のある時点で、最も低い部分が北に移動したということだろうか。
 なお、岡山県南部では、この台風による雨は28.5ミリにとどまり、16日午前0時には雨は止んだ。但し、風のほうは、午前3時9分に最大瞬間風速22.1メートルを記録している。また県北の一部の地域では広戸風が吹き荒れ、奈義では、16日午前0時以降も平均風速10〜20m、最大瞬間風速で36.7mを記録した。


2013年10月15日(火)

【思ったこと】
131015(火)やなせたかしさん逝去

 漫画家のやなせたかしさんが、10月13日、心不全のため94歳でお亡くなりになった。

 やなせさんの話題はこのWeb日記でも何度か取り上げたことがあった。ざっと検索してみると、
  • 2007年5月24日「ときめきインタビュー:88歳、人生これから」
  • 2009年12月10日アンパンマンが生まれた理由〜90歳やなせたかしの漫画家人生【感想記事をWeb日記に書いたかどうかは不明】

 このほか、爆笑問題のニッポンの教養

File157 2011年9月1日 君もアンパンマンになれる! やなせたかし(漫画家)

というのも拝見したことがあったが、最近、過去日記の検索がうまく機能しないので感想を書いたかどうか思い出せない。

 さて、やなせさんは『アンパンマン』の作者として知られているが、私自身は、アンパンマンのことは殆ど知らない。但し、上掲の「アンパンマンが生まれた理由」や「君もアンパンマンになれる!」といった番組を通じて、この作品の誕生の経緯や根底となる思想に共鳴したことはあった。このあたりのことは、ウィキペディアの当該項目にも記されている。いくつか抜き出すと、
  1. ヒーローとしてのアンパンマンが誕生した背景には、やなせたかしの従軍経験がある。戦中はプロパガンダ製作に関わっていたこともあり、とくに戦いのなかで「正義」というものがいかに信用しがたいものかを痛感した。
  2. 究極の正義とはひもじいものに食べ物を与えることである
  3. ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです
  4. 「飲食」が大きなテーマとなった世界で、本来の「食べる」と「食べられる」の食物連鎖的な循環を裁ち切り、自らを食事としてのみ差し出す自己犠牲こそがアンパンマンのヒーロー性を支えているのである
などなど。また、この作品は、「絵本のアンパンマンは当初、貧困に苦しむ人々を助けるという内容であり、未就学児には難解な内容で、編集部や批評家、幼稚園の先生などから酷評された。しかし、次第に子供たちの間で人気を集め、幼稚園や保育園などからの注文が殺到するようになった。」と記されているように、世間で最初に注目し、高い評価を与えたのは、大人ではなく未就学児であった。であるからして、この作品が大人気を得た真の理由は、大人の論理ではなく、小さな子ども目線で説明されなければならない。

 という人気作品ではあったが、我が家では、テレビアニメをあまり見せなかったせいか、子どもたちがアンパンマン関連グッズで遊んでいたという記憶は全くない。家の中に残っている絵本の中にもアンパンマンは見当たらなかった。

 いっぽう、私自身にとっては、やなせたかしさんと言えば、まずは1964年から1966年にNHKで放送されていたまんが学校というクイズ番組があった。一度、やなせさんが、うっかり先に正解を言ってしまって、「〜かな?」と付け加えたシーンがひどく記憶に残っている。もっとも、あの番組の司会者が立川談志師匠であったということは、全く忘れてしまっていた。

 このほか1973年創刊の「詩とメルヘン」は、本屋で立ち読みしたり、何冊か購入したことがあった。書庫のどこかに1冊くらいは残っているかもしれない。

 ま、作品自体はもちろんであったが、90歳をすぎてからなお生涯現役を続けておられたお姿は、これから高齢者となる私にとっても大きな目標であった。

 上掲の「アンパンマンが生まれた理由」や「君もアンパンマンになれる!」の番組は、DVDにダビングしてあったはずなので、これを機会にもういちど拝見し、追悼させていただきたいと思っている。