じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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岡大・大学会館前の広場で工事が行われているが、何が造られているのか皆目見当がつかない。曲線型の回廊になるのだろうか?【右側の写真は2013年9月23日の状況】



2013年11月10日(日)

【思ったこと】
131110(日)第6回日本園芸療法学会広島大会(12)浅野理事長の教育講演(5)園芸活動特有の時間性とは何か

 昨日の日記で「時間性」の話題を取り上げたが、園芸以外でも、大概の活動は一定の時間経過とともに遂行される。決して、1回限りの「反応→結果」として記述できるものではない。少々脱線するがこのことにふれておきたいと思う。

 まず、講演でも言及された音楽であるが、音楽は、1つの音ではゼッタイに成り立たない。ウィキペディアでも説明されているように、西洋音楽は、リズム、メロディー、ハーモニーの三要素からなるとされている。同じ音であっても、メロディのどの部分を構成しているのかによって感じ方は変わってくる。また、1つのメロディ(旋律)は、曲全体の文脈によって受け止め方が変わってくる。

 映画やドラマの名場面というのも、前後の文脈があってこそ感動シーンになるのであって、抜き出された1ショットをストーリーを知らない人に見せても、画像が美しいとか、類似の風景から連想されるその人自身の思い出が語られるにすぎない。

 山登りの場合も、頂上の風景を眺めることだけが目的ならば、麓から苦労して登らなくても、高精細の3D画像を見るだけ、あるいは、ロープウェイとかヘリコプターを利用して頂上に立っても同じことになる。しかし、本当の登山の喜びは、一歩一歩、登山道周辺の景色や草花を楽しみながら、頂上に近づくプロセスにある。これもまた、一定の時間性が必要である。

 ところで私自身は最近、旅行アルバムの整理の一環として、こちらのサイトに、観光スポットや宿泊先についてのクチコミや、関連する旅行記をかなりの頻度で投稿している。この旅行というのも、その時その時の絶景や感動体験を写真や旅行記として記録しておくと、何年もたって同じ場所を訪れた時に、過去の体験との重ね合わせによって、時間性を持った楽しみ方ができるものである。かつて住んでいた場所を10年ぶり、20年ぶりに訪れた時など、過去の想い出と重ね合わせてみることのできる景色は、世界中のどんな絶景よりも価値のあるものだと思うことがある。【2002年3月28日の日記参照】

 というように思いつくままに挙げてみたが、では、結局、園芸活動特有の時間性とは何か? あくまで思いつきだが、私自身は以下のようなことを考えている。
  1. まずは、涌井先生が指摘しておられたような、バイオフィーリア。
  2. 四季の移ろいとの密着性
  3. さっぱりした関係(人間関係のようなしがらみがなく、また、ペットのような死別の悲しみがない)
  4. 収穫による一体化。大事に育てた家畜を殺して食べる場合は、その家畜が可哀想になって後悔するかもしれないが、作物を育てて収穫することは100%喜びとなる。


 次回に続く。