じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
韓流「ビッグ」のラストシーン。左側は、魂キョンジュン(身体ユンジュ)がキル・ダランと約束して分かれるシーン。右側は、元の身体に戻ったキョンジュンがキル・ダランと再会するシーン。これらを交互に提示する構成となっているが、再会後の顔は傘で隠されていて見えないように工夫されている。 |
【思ったこと】 140315(土)韓流「ビッグ 〜愛は奇跡〜」(2)ラストシーンとハッピーエンドをめぐる議論 昨日も述べたように、このドラマは、韓国ドラマ大賞では総合82位、ラブコメ部門で31位と、必ずしも高い評価を得ていない。その理由はおそらく、
1.に関しては、キル・ダランはなぜもっと、寝たきりになっている「外見キョンジュン・魂ユンジュ」の介護をしなかったのか、なぜもっと早い回復を願わなかったのか、といった問題がある。ドラマの冒頭のほうでは、魂ユンジュはイ・セヨンとの関係疑惑があったり、キル・ダランとなかなか会わなかったり、アメリカに行こうとしていたり、...といった、誠意を疑わせるエピソードがいろいろ出てくるが、回が進むにつれて、それらは別の事情によるものであって、ユンジュは心からキル・ダランとの結婚を望んでいたことが分かってくる。そうなると、いくら、KKJに好意を抱くようになったとしても、魂ユンジュ(身体もユンジュに復帰)と結ばれるべきではないか、そうでない限りは、やっぱり、浮気とか移り気になってしまって、純愛に至らないという考えも出てくるかと思う。 2.については、じっさい、いくつかの感想サイトで、そのような指摘がなされている。【改行箇所は長谷川のほうで改変。絵文字は省略】
キル・ダランと【魂と身体が合致した】カン・キョンジュンが結ばれることがハッピーエンドであるという前提であれば、私自身も、あのラストはまことに秀逸であると言ってよいのではないかと思う。とはいえ、番組を録画し、かつ、上掲のような種々の議論を拝見したあとでの感想である。放送を一度だけしか視なければ、ラストが、魂キョンジュン(身体ユンジュ)がキル・ダランと約束して分かれるシーン【上掲の写真左側】と、元の身体に戻ったキョンジュンがキル・ダランと再会するシーン【上掲の写真右側】の重ね合わせであることは、服装や天候の違い、あるいは再会後は顔が隠されていることなどには気づきにくいのではないかと思う。 もっとも、キル・ダランとカン・キョンジュンが結ばれるという形が最良のハッピーエンドであるかどうかについては若干疑問が残る。以下のようなラストでも、よかったのではないか。
そういえば、アメリカ映画の「ビッグ」(1988年)も別段、ハッピーエンドというわけではなかった。こちらのあらすじで、 彼を追ったスーザンは「私をおいていかないで!」と涙声で訴えたが、既にジョッシュが“ゾルダー”に願いをかけた後であった。2人は別れを惜しみながらしっかりと抱き合う。懐かしい我が家に返って行ぐジョッシュが、服がだぶだぶになりもとの12歳にもどっていくのを、スーザンはいつまでも見守っていた。となってるように、別れのシーンでラストとなるのである。 私自身の結婚生活が30年を超えたせいか、単に歳をとったせいか、最近は、結婚すればハッピーエンドという単純な発想にはついていけなくなってきた。人は誰でも死ぬ運命にあり、いつかは必ず別れなければならない。むしろ、最良の別れ方こそにハッピーエンドを求めるべきかもしれない。そういう点では、私の心が聞こえる?のラストは、「ドンジュとウリの真実の愛の物語」ゆえにハッピーエンドというより、スングム(ポン・マルの祖母、ウリの義理の祖母)がヨンギュに背負われて家に戻る途中に息を引き取るという別れの中にこそ真のハッピーエンドがあったようにも思えてくる。 なお、今回の「ビッグ」については、いずれ完全版のレンタルDVDを視聴した時点で、あと1回、感想を書く予定。 |